関取最軽量のハンデを乗り越えて十両上位を目指す照強関

照強関のプロフィール

照強関は平成7117日に兵庫県洲本市で誕生し、現在22歳です。本名は福岡翔輝で、照強という四股名の由来は、「強くなって周囲を明るく照らす力士になってほしい」という伊勢ヶ濱部屋師匠の願いから2字が取られて付けられたものとされています。

出典:力士プロフィール – 照強 翔輝 – 日本相撲協会公式サイト

照強関は小学生の時には柔道、中学性の時にはサッカーのスポーツ経験を地元の道場や部活動単位で有していました。このため現在も、これらのスポーツには興味があり、特に後者では1年ほど前に開催させた世界大会でファンにしている1人に会いに練習場まで向かったほどです。

相撲経験は小学校高学年になって地元で開かれたわんぱく相撲大会で準優勝の成績を収めたことを機に地元の相撲道場に通う形で本格的に積み始めました。中学生の時に全国大会でベスト16を残すほどまでに実力を伸ばすことができました。中学卒業後の平成22年春場所に、すでに亡くなっていた祖父の勧めと、相撲道場の監督の縁から第63代横綱旭富士が師匠を務めている伊勢ヶ濱部屋に入門して初土俵を踏みました。

照強関は、身長が167cmしかなく当時実施されていた第2新弟子検査を受けて入門する形を取りましたが、入門後は着実に番付を上げていき、丸2年で幕下に昇進することができました。この時の年齢は17歳で、平成の大横綱の1人である第65代横綱貴乃花や田子の浦部屋所属の第72代横綱稀勢の里関に次いで3番目に若い昇進でした。その後も幕下に定着して実力を伸ばしていき、前回の初場所で関取の座を掴むことができました。そこから1年間は十両の土俵で相撲を取っていましたが、この九州場所では10敗以上を喫したため、次の初場所では幕下に下がる可能性が高くなっています。

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関取最軽量力士として1年を務め注目されたこともある照強関

照強関は現在、体重が112kgしかなく、関取の中では最も軽い力士として1年間十両で相撲を取れました。この事で、木瀬部屋所属の宇良関や宮城野部屋所属の石浦関と共に軽量力士の1人として数えられて少なからず注目されたこともありました。

幕内力士の平均体重はここ数年、増加傾向にあり、現在160kg台となっている中で、このような軽量の力士は小兵力士とも呼ばれて、伝え反りなどの反り技や三所攻めのように相手の中に潜らないと決められない珍しい技を決めやすい点などから、注目を集めやすい存在であるといえると思います。現に、宇良関がたすき反りの決まり手を決めたときは話題になったほどでした。

照強関が所属している伊勢ヶ濱部屋の紹介

ここで、照強関が所属している伊勢ヶ濱部屋について紹介したいと思います。現在の伊勢ヶ濱部屋は、当時元大関旭國が師匠を務める大島部屋に入門し、昭和から平成に時代を跨いだバブル景気の頃に活躍した元横綱旭富士が師匠を務めている部屋です。ちなみに旭富士は平成に入って最初に誕生した横綱です。

今から25年前に、当時引退して1年ほど経ち、大島部屋で後進の指導に当たっていた旭富士が、元関脇陸奥嵐が師匠を務めていた安治川部屋の後継者として所属を変更した上で継承したのが現在の部屋のルーツとなっており、この15年後に年寄名跡を変更したことにより部屋の名前も伊勢ヶ濱部屋に変わりました。その後、師匠の定年などで閉鎖が決まっていた第56代横綱若乃花が師匠を務めていた間垣部屋と元大関大受が師匠を務めていた朝日山部屋を相次いで吸収して現在に至ります。ちなみに旭富士が当時の安治川部屋の後継者に選ばれた理由として、陸奥嵐が旭富士と同じ青森県出身で、同じ一門に所属していた力士だったため、普段から仲が良かったことなどが挙げられます。

伊勢ヶ濱部屋には現在、幕内に照ノ富士関、安美錦関、宝富士関の3人、十両に誉富士関と照強関の2人の計5人の関取が所属し、幕下以下の力士を含めて計28人が所属しています。力士の他に、元小結黒瀬川の桐山親方と世話人を務めている元十両陸奥北海と元前頭斉須の2人の計3人のOBが後進の指導に当たり、呼出3人、床山2人、行司1人の計6人の所謂、裏方さんと呼ばれる職員を含めて少なくとも、40人近くの人が共同生活をしている大所帯といえる部屋になっています。ちなみに今年の九州場所まで第70代横綱日馬富士関も所属して活躍していました。また、錦糸町に近い東京都江東区内に部屋を構えており、国技館まで自転車で通えるほどの所に位置しています。

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照強関の家族構成

照強関の家族には、両親と妹の計3人がいます。先述した通り照強関は平成7117日の夜に生まれ、この日は地元でも大きな被害を受けた阪神・淡路大震災が明け方に発生した日でもあり、余震に不安を感じながらの出産だったと母親が話していたそうです。本人も、この事実に対して特別な思いを抱えながら土俵に立ち努力する原動力にしています。

照強関は家族思いの一面があり、祖父のお墓代や妹の私立大学を受験するため費用を全額負担したほどでした。ちなみに、この妹は照強関とそっくりな顔立ちだそうです。

小柄な体格ならではの努力とは

照強関の強みは左を浅くとるタイプの左四つになってから体勢を低くして寄り切ったり、そこから下手で投げたりすることですが、これは小柄な体格をカバーするための相撲内容であり、スピードを伴うことで体重差を感じにくくなる効果があるとされています。

入門した当時は85kgしかなかった照強関が、軽量な体格を乗り越えて関取の座を掴むことができた要因として、毎日行う部屋での猛稽古と体格作りに励んだことが挙げられます。具体的には前者は、毎日100番近く熟すなど部屋で一番熱心に稽古をやるほうであると師匠に言われるほどであり、後者も1食あたり丼3杯の飯を平らげることをノルマにするほどでした。また、師匠からの勧めで始めた筋肉トレーニングも並行して熟す努力を重ねたことで体格面でのハンデを補う形で関取になれたと考えられます。

十両上位で定着するには何が必要なのか

照強関は1年間安定して十両で土俵を取っていましたが、最高位は十両9枚目で、まだ十両上位に上がった経験がありません。照強関が十両上位に上がるために必要なこととしては、先述したような努力を続けるほかに、本場所において前半を中心に連敗しないようにすることなどが挙げられます。

この1年間の成績では連敗などが響いて序盤の5日間で勝ち越した場所はなく、特に九州場所では、この5日間の全敗が響いて幕下陥落を覚悟しなければならなくなってしまいました。

序盤を中心に前半で星を落とさずに済めば、成績が上がり、十両上位への道も開けることになります。

まとめ

このように、体重が110kg台しかなく、日々の稽古に加えて筋トレを取り入れるなどの工夫を加えて丸1年十両の地位に定着して土俵に立てた照強関は家族思いの一面もある関取です。本場所において序盤を乗り越えられるようになれば、星が上がって十両上位やその先に対しても期待できる力士の1人です。