近代初の信州大関を目指す御嶽海関

御嶽海関のプロフィール

御嶽海関は平成41225日に長野県の南部にある上松町で誕生し、現在24歳です。本名は大道久司となっています。この御嶽海という四股名の由来は、地元から眺めることのできる御嶽山から「御嶽」の2字を、部屋の名前から「海」の字をそれぞれ取ってつけられたものです。ちなみに「御嶽」の読みは山が「おんたけ」に対し、四股名は「みたけ」に変更していますが、平成269月に起こった噴火災害への配慮によって、変えたとされています。

出典:力士プロフィール – 御嶽海 久司 – 日本相撲協会公式サイト

御嶽海関は小学校に入ってから相撲中心の少年生活を送っており、高学年になると全日本相撲大会の小学生部門で準優勝するまでに実力を身につけることができました。彼が相撲に目覚めたきっかけは地元で開かれた相撲大会で自分より体格が小さい人に負けたことでした。

学生時代は、高校までは隣の木曽町にある学校の相撲部に所属して実力を磨いていき、中学時代に全国大会ベスト8、高校時代に国体相撲3位の実績を残しました。高校卒業後は東洋大学における監督のスカウトを受ける形で上京して、そこの相撲部に入部して自身の強みである突き押し相撲を強化させるなどした結果、個人タイトルを十数回獲得したり、4年生の時にアマチュア相撲と国体相撲の両方で横綱を獲得したりする優秀な成績を収めることができました。

これらの成績が評価されて幕下10枚目格付出での入門資格を得ることができ、卒業後の平成27年春場所に元幕内小城ノ花が師匠を務めている出羽海部屋に入門して初土俵を踏みました。角界に入っても実力は健在で、入門した年の内に新入幕を果たし、この丁度1年後の平成28年九州場所には23歳で新三役に上り詰めました。この場所は6勝でしたが、この翌場所には伊勢ヶ濱部屋所属の日馬富士関と井筒部屋所属の鶴竜関の両横綱から3個の金星を獲得するなどの大活躍を見せ、以降は三役に定着し、今年の九州場所では3場所連続の関脇として、自身初の三役での2桁勝利を目指すことになります。

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地元長野県からの応援団で人気が波及

毎年7月に開催されている名古屋場所を中心に、本場所において御嶽海関に対する応援団をテレビ観戦の際などで見かけることが多くなっていますが、この応援団は地元長野県から結成されたもので、出身地の上松町など南部の住民が中心になっています。

角界で長野県出身の関取が40年近く途絶えていたことなどから、御嶽海関は長野県の代表的存在と位置づけられて、信濃毎日新聞など地元の新聞の1面に掲載されるほど地元では人気の高い力士となっています。本場所で見られる応援団によって彼の注目度や人気が早い段階で、全国規模で確立させたといってもいいかもしれません。

学生時代から支えている強みとは

先述したように東洋大学に在籍したころからアマチュアや国体などの大会で優勝を複数重ねてきた御嶽海関を支えた強みは、廻しを取らずに攻めていく突き押し相撲です。これまでの決まり手でも押し出しが3分の1を占めています。この強みが角界でも通用した理由の1つとして、攻めている際に膝が十分に曲がっているため、重心が崩れることなく相手に力を十分に与えられることが考えられます。ちなみに中学時代までは相手と密着して寄り切る相撲も取っていたこともありましたが、入門してからは押しに徹するように親方に指導されていることなどから、突き押し相撲をベースにした内容を貫くと考えられます。

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御嶽海関の家族構成

御嶽海関の家族には両親2人で、兄弟がいないことから彼は一人っ子になります。また、父親は日本人ですが、母親はフィリピン出身であることから、ハーフになります。ちなみに、この2人は22歳年が離れています。

父親は地元で建設業を経営している方で、御嶽海関に対して少年時代に四股など基礎的な自主稽古を毎日課して鍛えさせたとされています。また、母親は時々、先述した大応援団の一員として本場所を観戦するなどして、応援するだけでなく、彼が中学生の時にバナナでの栄養補給をレクチャーしたことにより、実力向上に繋がったという側面を与えたことになります。ちなみに御嶽海の好物は焼肉と寿司の主食系に加えてバナナが紹介されています。

遠藤関の活躍と親方の説得で角界入りを決めた御嶽海関

2つのビッグタイトルを得るなど、学生時代に好成績を収めた御嶽海関が選んだ出羽海部屋は師匠が先代の元関脇鷲羽山から小城ノ花に交代して1年ほどしか経っておらず、平成22年夏場所には110年以上続いた関取が途絶えてしまうなど、転換を迎えた部屋でした。また、入門を決めたころには既にアマチュア相撲では強豪の1つである和歌山県庁への内定が決まっており、角界に入る意思はありませんでした。

御嶽海関が、このような進路変更をした理由として、同じ学生相撲出身で先に角界デビューをした追手風部屋所属の、遠藤関の活躍ぶりと出羽海部屋師匠から部屋の将来性を熱く語るような説得に影響を受けたことが挙げられます。

御嶽海関が近代初の信州出身大関を目指すには

これまでに長野出身の力士は御嶽海関を含めて16人いますが、大関以上まで昇進した力士は江戸時代に活躍した雷電関しかいません。もし彼が大関に昇進できれば近代初の信州出身大関誕生となります。

突き押しベースの相撲で安定して三役を務めるようになってきた御嶽海関ですが、他にも瞬発力やとっさの判断が早いことも白星に繋がっていると考えられます。瞬発的に変化して引き落とすことで白星を取った割合も1割程度あります。その反面、突いたり押したりし切れずに差してしまった時の対応が弱点の1つに指摘している親方もいます。具体的には、前半に強みを活かして相手の重心を上げてから中に潜り込んで差したり、差すタイミングを土俵際に詰めてからにしたりするなどの改良が必要とのことです。

現に寄り切りで勝利する取り組みも増えており、強みに加えて差す技術を身につければ三役で2桁勝利を重ねて大関昇進に近づく可能性が十分に広がるのではないかと思います。

まとめ

このように、長野出身としての久しぶりの関取として活躍している御嶽海関は学生時代から発揮している突き押し相撲で三役に安定するまで実力を伸ばすことができ、さらに技術を向上させれば、近代初の信州出身大関への道も開けてくる可能性があり、期待できる力士の1人と言えると思います。