片男波部屋と親方・関取紹介

2017年11月17日

元玉春日関が師匠を務める片男波部屋とは

元関脇玉春日関が師匠を務めている片男波部屋は、戦前の角界を盛り上げた元関脇玉ノ海関が師匠を務めていた当時の二所ノ関部屋で後進の指導に当たっていた、元関脇玉乃海関が今から56年前に独立して誕生させたのが始まりで、玉乃海関が今から30年前に亡くなってからは元関脇玉ノ富士関が、これを継承しました。今から7年前に、定年まで5年ほどを残して名跡を交換する形で、師匠を玉春日関に譲って現在に至ります。

その片男波部屋は東京都墨田区の住宅街の一角に部屋を構えており、周辺には安田庭園などの公園が点在し、蔵前橋にも近いところとなっています。そこから国技館へは徒歩十数分程度で行くことができ、両国周辺に点在する相撲部屋の集まりの1つとも言えるのではないかと思います。現在、片男波部屋には関脇の玉鷲関、幕下の玉金剛、序二段の玉信力と玉乃龍の、計4人の力士と床山1人が所属しており、2人の部屋付き親方が力士の指導などに当たっており、少なくとも9人が共同生活をしていることになります。なお、朝稽古などの稽古見学は後援会に入会すれば、できる可能性があり、事前に連絡したほうが良いかもしれません。

片男波部屋の師匠、元関脇玉春日関の紹介

現在、片男波部屋の師匠を務めている元玉春日関は昭和471月生まれの45歳で、少年時代は相撲を始め、砲丸投げや走り幅跳びなど幅広い陸上競技のスポーツを経験し、中学時代には全国大会や地域単位での大会で好成績を収めるほどの実力を有していました。高校に入ってから相撲中心の生活を送るようになり、卒業後に地元愛媛県から上京して大学の相撲部へ入部し、そこで学生相撲大会の団体戦で優勝したことに貢献した事などの実績を評価される形で、大学卒業直前の平成6年初場所に元関脇玉の富士関が師匠を務める当時の片男波部屋に入門し、幕下付出として初土俵を踏みました。ちなみに玉春日関の同期として、現立川親方で伊勢ノ海部屋所属の元関脇土佐ノ海関と現在、藤島部屋の師匠を務めている武蔵川部屋所属の元大関武双山関の強豪学生力士として活躍した2人がおり共に昭和47年の早生まれで、平成1~10年代初頭の土俵を盛り上げた力士となっています。

大相撲カード 1999年上半期版 BBM 玉春日良二<27> 片男波部屋

玉春日関の強みは立ち合いの際に、廻しを取らずに突き出したり押し切ったりして攻めていくことであり、この強みを活かして番付を上げていき、入門して1年ほどで関取の座を掴み、丸2年が経った平成8年初場所には、24歳で新入幕を果たしました。ちなみに新入幕の場所は10勝を上げて三賞の1つである敢闘賞を獲得できました。玉春日関は入幕後7年間、幕内の番付に定着するほどの実力を示すことができ、特に最初の2年間で、三賞は殊勲賞と技能賞を含め4つ獲得したり、平成9年夏場所には平成の大横綱の1人である第65代横綱貴乃花関から初金星を挙げたりする実績を残し、その後2場所は関脇などの三役の地位を経験することができました。その後は少し低迷するものの、1年以内に幕内上位の番付に返り咲いて3場所連続で金星を上げるなどの活躍を示しました。

30歳台に入ると場所中に蜂窩織炎を患ったり、右膝の半月板を損傷する怪我を負ったりしたことにより、皆勤で土俵を務めることが難しくなり十両に落ちることも増えましたが、肘と手で相手の重心を強制的にあげるおっつけや、攻撃をかわす往なしなどの技術を伴った押し相撲に変更したり、土俵際での体の柔らかさを生かした突き落としなどを用いたりすることで幕内の土俵に再び定着できるようになり、特に34歳だった、平成18年名古屋場所では先述した技術的な内容を評価されて技能賞を獲得できました。それから2年後の平成20年秋場所中に15年近い現役生活に別れを告げ、楯山親方として約1年半の間、片男波部屋に残って後進の指導に当たり、平成22年春場所前に玉ノ富士関から部屋を継承して現在に至ります。

師匠として、2人の関脇を育てた元関脇玉ノ富士関の楯山親方

今から7年前まで、片男波部屋の師匠を務めていた元関脇玉ノ富士の楯山親方は、昭和2411月生まれの67歳で、少年時代はバスケットボール中心のスポーツ経験を持っていました。高校を中退して暫くした昭和42年夏場所に、知人の勧めなどから地元栃木県から上京して玉乃海関が師匠を務めていた当時の片男波部屋に入門し、17歳で初土俵を踏みました。

 

出典: http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=4101&l=j

玉ノ富士関の強みは立ち合い時に右四つに組み止めて前廻し掴んでから寄り切ったり、左上手から投げたりすることで、この強みを活かして初めて番付に載った場所で61敗の成績を残しましたが、この直後に部屋から離れて、自衛隊に入隊したり、工場関係や建設関係の仕事を複数熟したりするなどの社会経験を自ら望んで積みました。それから3年ほど経った昭和45年秋場所で角界に戻って本格的にプロの力士を目指す形で再入門しました。ちなみに玉ノ富士関のケースは再就職にあたり本来では行われていませんが、同じ経験をした玉乃海関のケースなどから認められたと考えられます。

その後、玉ノ富士関は先述した強みを活かした相撲で番付を上げて行き、3年ほどで関取の座を掴み、丸4年が経った昭和49年秋場所には24歳で新入幕を果たしました。入幕してからの7年間は安定して幕内の土俵で活躍する実力を有しており、入幕2年後には三役の地位である小結に昇進すると、幕内力士の半分にあたる3年半の間、上位の番付に定着して相撲を取っていました。特に28歳になった頃からは関脇6場所を含める形で、安定して三役の地位を務めることができるほどの実力を示すようになり、一時は大関候補の1人と数えられるほどでした。その後は、糖尿病などの影響で成績が一時低迷したものの、三役から陥落した半年後の昭和54年秋場所には昭和の大横綱の1人であり、三保ヶ関部屋所属の第55代横綱北の湖関から初金星を挙げて三賞の1つである殊勲賞を獲得したり、この次の場所でも三賞の敢闘賞を獲得したりする実績を残しました。ちなみに丁度1年後には武蔵川部屋の師匠を務めた、出羽海部屋所属で第57代横綱三重ノ海関からも金星を上げています。

玉ノ富士関は、最終的には昭和56年秋場所後に31歳で現役を引退し、湊川親方として片男波部屋に残って6年ほど後進の指導に当たった後、昭和62年秋場所後に玉乃海関の死去に伴って部屋を継承しました。師匠として22年半の間に玉乃島関と玉春日関の2人を関脇まで昇進させるなどの実績も残し、協会の理事を1期務めたこともありました。65歳を超えていますが、協会の再雇用制度を使う形で部屋に残って引き続き後進の指導に当たっています。

怪我と病気を克服して通算9年近く関取を務めた元玉飛鳥関の荒磯親方

片男波部屋で後進の指導に務めている、もう1人が元前頭玉飛鳥関の荒磯親方で、昭和581月生まれの34歳です。玉飛鳥関は少年時代から相撲中心の生活を送っており、その実力は全国中学校相撲選手権大会を制するほどでした。その頃に先代師匠からのスカウトされたことと、相撲評論家の1人から後押しをされたことから、中学卒業後の平成10年春場所で地元愛知県から上京して片男波部屋に入門して初土俵を踏みました。

出典http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=1801

玉飛鳥関の強みは廻しを取らずに押し出すなどの押しと、左四つに組んでから寄り切るなどの寄りであり、これらを活かして番付を上げていき、入門して6年半後の平成16年秋場所後に関取の座を掴み、それからほぼ1年後の平成17年名古屋場所には22歳で新入幕を果たしました。入幕後半年間は幕内の番付で相撲を取ることができたものの、場所中に左脛骨を骨折したり、左足の関節部分の靭帯を傷めたりする大怪我を負ってしまい、取的としてやり直しになってしまった上、持病の糖尿病の影響も受け、3年半の間、怪我と病気で苦しむ土俵が続きましたが、これらを26歳の時に克服しました。それ以降は右前足部分の靭帯を痛めるなどして途中休場したり、1回だけ幕下に陥落したりしたものの、6年半ほど関取の座に定着する実力を示すことができ、通算で1年半は幕内の土俵で相撲を取ることもできました。昨年からは幕下上位で相撲を取ることが多くなり、33歳だった昨年の秋場所後に現役を引退して、荒磯親方として片男波部屋に残って力士の指導などに当たっています。

30歳台になってから実力が伸びた大関候補の玉鷲関

現在、片男波部屋に関取として所属している唯一の力士である玉鷲関は昭和5911月生まれの32歳で、少年時代は主なスポーツ経験はありませんでしたが、自分の体格を活かした相撲を希望していたことから、モンゴルから来日し、井筒部屋所属の第71代横綱鶴竜関の紹介などが縁となって平成16年初場所に19歳で片男波部屋に入門して初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile/?id=2629

玉鷲関の強みは身長190cm近くで体重170kg前後の大型力士としては珍しく、師匠と同じく、廻しを取らずに押し倒したり、突き出したりして攻めていくことであり、この強みを少しずつ活かしていき入門して丸4年で関取の座を掴み、それから1年も経たない平成20年秋場所には23歳で新入幕を果たしました。玉鷲関は突き押し相撲が強い反面、四つ相撲が確立されていないなどから入幕して7年ほどは幕内と十両を経験する力士でしたが、30歳台に入ると強みが次第に活かされるようになり、幕内上位の土俵に立てるようになりました。そして平成27年春場所には新三役を経験したり、その翌場所には伊勢ヶ濱部屋所属の第70代横綱日馬富士関から初金星を挙げたりする活躍を示すようになりました。小結を務めていた昨年九州場所で2桁の成績を収めて三賞の1つである技能賞を獲得した後は関脇に昇進し、そこから半年連続で勝ち越す実績を残すようになり、現在は、田子ノ浦部屋所属の高安関に次いで大関に昇進できるかが期待される力士の1人となっています。