伊勢ヶ濱部屋の関取紹介

2017年11月13日

名門の相撲部屋の1つである伊勢ヶ濱部屋はメンバーの層が厚い

現在、力士33人、力士の指導に当たっている部屋付き親方1人と世話人2人、さらに裏方職である行司1人、呼出3人、床山2人の少なくとも43人を抱える大所帯の相撲部屋で、名門の1つともされている伊勢ヶ濱部屋ですが、裏方職でも関取格で数十年間勤めているのベテランから力士と同年代の若手まで層が厚くなっています。このような傾向は力士でも同じで角界の最高位である横綱から序ノ口まで広く所属しているという特徴があります。

今回は、この力士の中でも、現在関取として活躍している6人を紹介したいと思います。

全身全霊で相撲道を貫く第70代横綱日馬富士関

現在、伊勢ヶ濱部屋で横綱として活躍している日馬富士関は昭和594月生まれの33歳で、少年時代は地元モンゴルのブフと呼ばれているモンゴル相撲と柔道を経験し、16歳の時に、地元で旭富士関が開いた相撲大会に出場したことが縁で後にスカウトを受けることになり、これに応じる形で来日し、平成13年初場所に安治川部屋に入門して、安馬の四股名として、初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2308

日馬富士関は身長が186cmに対して、体重が130kg台のソップ型の体型ですが、低い重心と足腰の強さを活かして、廻しを取らずに立ち合いから一気に突き出す突き押し相撲を強みにしており、右四つに組んでから寄り切ったり、上手から出し投げを打ったりすることも得意にしています。これらの強みを活かして、番付を上げていき、入門して3年ほどで関取の座を掴み、同じ年の平成16年九州場所では20歳で新入幕を果たしました。入幕後は取り組み中に負った怪我で1日分休場した以外は、幕内の座に定着して相撲を取ることができ、特に平成18年初場所に、同じモンゴル出身の先輩で高砂部屋所属の第68代横綱朝青龍関から唯一の金星を勝ち取る活躍を見せてからは幕内上位の番付に定着する実力を有するようになりました。その間に、先述した強みが評価される形で、三賞の1つである技能賞を5回受賞することができるなど、合計10個の三賞を獲得する実績も残しました。

新入幕を果たして丁度4年経った九州場所で13勝の好成績を収め、優勝決定戦に進出することもできました。そして、この場所後に関脇の地位において半年間で通算35勝をすることができた事などが評価されて24歳で大関に昇進しました。昇進の際の口上では四字熟語を用いて「全身全霊で相撲道に精進します」と述べました。この時に四股名を今の日馬富士に変更しています。

大関に昇進してからは、スタートダッシュになる場所は8勝止まりでしたが、昇進して半年後の平成21年夏場所で14勝の成績を収め、平成の大横綱の1人として活躍している宮城野部屋所属の第69代横綱白鵬関を決定戦で下して、25歳で、初の幕内最高優勝を果たしました。その後は、取り組み中に足の付け根に近い、前距腓靱帯を傷めたり、右肩を亜脱臼したりする怪我を負って途中休場するなど成績が一時低迷していましたが、これらを克服するなどして、さらに1回の幕内優勝を積み重ねた後、平成24年名古屋場所で15戦全勝優勝をすると、その次の場所も同じく15戦全勝を果たしたことから、この場所後に第70代横綱に28歳で昇進することができました。横綱土俵入りは師匠の旭富士関と同じ不知火型を選択し、この時も口上で「全身全霊で相撲道に精進します」と述べました。ちなみに、日馬富士関の、現在までの連勝記録は32で、この期間を挟んで作られたものとなっています。横綱に昇進してから1年間は安定して好成績を残し、1回の15戦全勝優勝を含めて、優勝回数を6回まで積み上げることができましたが、30歳代になった頃から、取り組み中などで左足の関節や右肘の外側側副の靭帯を傷めたり、右脚部分に当たるハムストリングの肉離れを起こしたりしたことなどから途中休場したり、全休したりする場所が増えて皆勤することが難しくなり、取り組み中でも腕などにテーピングを巻いている状態で土俵に立つなど満身創痍の体で相撲を取っている状態ですが、強い気持ちで土俵を務めている姿勢は、毎年恒例のお楽しみ企画の歌自慢大会で敗北した際、「自分には相撲しかない」と公言しているほどで変わっていないと考えられます。また、この間も、さらに2回幕内優勝を果たしており、この夏場所でどのように活躍するかが楽しみな力士の1人です。

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若三勝として力を蓄えた大関照ノ富士関

現在、伊勢ヶ濱部屋で大関の地位として活躍している照ノ富士関は平成311月生まれの25歳で、少年時代は柔道中心のスポーツ経験を有していました。旅行で日本を訪れた際に、相撲に興味を持ったことから、17歳の時に相撲留学の名目で来日し、相撲の名門校の1つで、宮城野部屋所属の幕内力士として活躍している石浦関の父親が監督を務めている鳥取城北高校の相撲部に入って四股やテッポウなどの相撲の基礎を修得しました。卒業後の平成23年初場所前に第56代横綱若乃花関が師匠を務めていた当時の間垣部屋に入門し、手続きや情勢などの影響から、半年後の平成23年技量審査場所(夏場所)19歳で初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=3321

照ノ富士関の強みは身長190cm台に対し、体重が185kgのあんこ型の体格を活かして、右四つに組み、左の上手を引き付けてから寄り切るなどの寄りですが、この上手から投げることも得意にしています。初めは若乃花関が長年名乗っていた四股名の若三杉から取ったとされている若三勝という四股名で相撲を取り、これらの強みを活かして番付を上げていきました。幕下の番付まで上がった頃の平成25年春場所後に間垣部屋が閉鎖されて今の伊勢ヶ濱部屋に移ってからは関取に恵まれるなどしたため、急速に力をつけていった結果、入門して2年半ほどで関取の座を掴み、その半年後の平成26年春場所には22歳で新入幕を果たしました。入幕後も、この勢いは続き、あっという間に幕内上位の番付に定着する実力を示すようになり、丁度1年後には関脇で13勝の好成績を収めて三賞の殊勲賞と敢闘賞を獲得する実績を残しました。そして23歳で迎えた、次の場所である平成27年夏場所で12勝の成績を収めて初の幕内最高優勝に輝きました。この場所後には、半年間で33勝の成績を上げた点や全ての場所で敢闘賞を獲得する活躍を見せた点などから、角界では64年半ぶりに三役を2場所経験しただけで大関に昇進することができました。ちなみに、この幕内最高優勝と大関昇進は平成生まれ初の出来事としてメディアなどで話題になりました。照ノ富士関は、大関に昇進して半年間は10勝以上の好成績をキープし続けていて横綱昇進の第1候補となった時期もありましたが、取り組み中に右膝に大怪我を負ってしまったり、右の鎖骨を骨折したりするなどしたため、満足な相撲を取ることが難しくなり、途中休場をしてしまったり、皆勤で出場しても負け越してカド番を複数回経験したりするなど低迷してしまいました。しかし、今年に入って少しずつ回復の兆しを示しており、春場所には13勝を上げて優勝決定戦に進出できるほどになりました。怪我を十分に回復することができれば、以前のような活躍が期待できる力士の1人ではないかと思います。

三役の常連になりつつある宝富士関

現在、幕内上位で活躍している宝富士関は昭和622月生まれの30歳で、同学年には田子の浦部屋所属の第72代横綱稀勢の里関、境川部屋所属の大関豪栄道関を始め、幕内の土俵を盛り上げている力士が多くなっている傾向があり、「花のロクイチ組」とも呼ばれているほどで、早生まれではあるものの、宝富士関も春日野部屋所属で関脇まで上がったことがある栃煌山関とともにこのグループの1人として数えられることもあります。

宝富士関は少年時代から相撲中心の生活をしており、特に小学校中学年から本格化に取り組み始め、中学生のころには複数の相撲部屋からスカウトされるほどの実力を持っていました。高校生でもインターハイや国体に出場して上位8位に残るなどの実績を残したことから、卒業後に地元の青森県から近畿大学に入って実力を蓄えた後、高校時代に伊勢ヶ濱部屋主催の合宿に参加したことや、旭富士関が大学のOBだったことなどの縁から卒業直前の平成21年初場所に伊勢ヶ濱部屋に入門して初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=3150

宝富士関の強みは左四つに組んでから寄り切ったりする寄りで、これに加えて土俵際で突き落としや投げで逆転することも得意にしています。これらの強みを活かして、入門して1年半で関取の座を掴み、負け越すことなく、ほぼ1年後の平成23年名古屋場所には24歳で新入幕を果たしました。入幕した後は少しずつ力を身につけていき、入門して4年ほど経つと幕内の土俵に定着するほどの実力を身につけることができました。ちなみに、この頃から、顔立ちがテレビなどのメディアで活躍している某有名タレントにそっくりであるという話題が出始め、本人と1回共演する経験をしたこともあります。

宝富士関は、3年前からは幕内上位の番付にも定着するようになり、特に平成27年初場所では27歳で井筒部屋所属の第71代横綱鶴竜関から初金星をあげたり、去年の名古屋場所では平成の大横綱の1人である宮城野部屋所属の第69代横綱白鵬関からも金星を上げ、三賞の敢闘賞を獲得したりする活躍を見せました。この次の場所には新関脇に昇進することができました。現在も、幕内上位の番付で相撲を取っており、今後の活躍が期待される力士の1人ではないかと思います。

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現在の関取最年長を務める安美錦関

今から1年半前に、友綱部屋で後進の指導に当たっている大島親方の元関脇旭天鵬関が現役を引退してから、関取最年長として土俵に立ち続けている安美錦関は昭和5310月生まれの38歳で、兄が同じ伊勢ヶ濱部屋所属の元安壮富士関、祖父も元力士という家庭で育ったこともあり、少年時代から相撲一筋の生活をしていました。高校卒業直前に上京して兄と同じ、当時の安治川部屋に入門し、平成9年初場所で初土俵を踏みました。ちなみに旭富士関は父親の従兄弟に当たり、苗字は同じ杉野森となっています。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=1080

安美錦関の強みは、右四つに組んでから寄り切ったり、上手から出し投げで崩したりすることですが、足を掛けて相手の体勢を崩したり、裾などを取ったりするなどの技巧的な技も得意にしています。これらの強みを活かして入門して凡そ3年で関取の座を掴み、負け越すことなく、半年後の平成12年秋場所には21歳で新入幕を果たしました。ちなみに、この場所は10勝を上げて三賞の1つである敢闘賞を受賞しました。入幕後は、ほぼ安定して幕内の番付に定着する実力を示すことができ、現在までに三賞を既に11個も獲得しており、特に先述したような技巧的な相撲内容が評価されたことなどから技能賞を6回も獲得する実績を残しています。

さらに、安美錦関の特徴として相撲の駆け引きに強い点が挙げられるのではないかと思います。例えば、相手が緊張していると感じとって一直線に突進してくる所をうまく横にかわして叩き込んだり、出し投げで倒したりする内容が挙げられ、現在も、この強みを活かして白星を掴むことが複数あります。この強みは横綱や大関といった上位力士にも通用しており、共に平成の大横綱である二子山部屋所属の第65代横綱貴乃花関と白鵬関から1個ずつ金星を勝ち取っており、高砂部屋所属の第68代横綱朝青龍関からは4個も獲得しています。ちなみに、先述の貴乃花関からの金星が自身初の金星で、当時24歳でした。また、このような上位力士を倒したことが主に評価されて受賞されることが多い三賞の殊勲賞を4個も獲得しています。

安美錦関は30歳代前後になると、取り組み中に、両膝の半月板や右膝の側副靭帯などを傷める怪我を負って、途中休場することが増え、場所を皆勤することが難しくなった半面、相撲内容において、これまでの技巧的な内容に加えて、廻しを取らずに喉元を一気に押す形の突き押し相撲を新たに強みにすることができたことなどから、28歳で迎えた平成18年九州場所で新三役に昇進してから約10年間、幕内上位の土俵に定着する実力を有するようになりました。その間に関脇を6場所務めるなど三役を合計15場所務めたり、先述した金星や殊勲賞の殆どをこの期間に獲得したりする実績を残しました。最近では36歳で迎えた1年前の初場所で鶴竜関を破って金星を上げた事もあります。ちなみに、このような活躍から上位キラーという、あだ名も与えられることもあり、このような活躍をしたときにインタビューも慣れたような感じで、アドリブを加える余裕のコメントには親しみを感じるという好評価があるほどです。

しかし、丁度1年前に、取り組み中に左のアキレス腱を断裂する大怪我を負って半年近く休場したことによって、ほぼ15年間務めてきた幕内の座を明け渡すことになってしまいました。それでも、十両の番付で土俵に立ち続けており、今後どこまで力士として活躍してくれるのかが楽しみな力士です。

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師匠がOBの近大出身力士の1人である誉富士関

現在、十両の土俵で相撲を取っている誉富士関は昭和605月生まれで、間もなく32歳になります。少年時代から相撲中心の生活をしており、相撲を始めた時期や相撲どころで知られている地元の青森県から、近畿大学に進んで全国大会などで活躍した点は先述した宝富士関と同じで、誉富士関も旭富士関からスカウトを受けていた点や、大学のOBだった点などから卒業直前の平成20年初場所に伊勢ヶ濱部屋に入門して初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=3060

誉富士関の強みは廻しを取らずに攻めていく突き押し相撲で、この強みを活かして、初土俵から丸4年で関取の座を掴むことができ、それから1年ほど経った平成25年夏場所には28歳で新入幕を果たしました。その頃から関取の座に定着するほどの実力を持つようになり、特に一昨年からの1年強は幕内の土俵に立ち続けることができたほどです。しかし、ここ半年は、取り組み中に右の下腿三頭筋を痛めて途中休場した事などが原因で、十両で相撲を取ることが多くなってしまいましたが、ある程度治して再び幕内の土俵で相撲が取れるかどうかが楽しみな力士ではないかと思います。

1990年代後半生まれの期待の若手である照強関

現在、伊勢ヶ濱部屋で最も若手の関取である照強関は平成71月生まれの22歳で、少年時代は柔道と相撲を経験し、特に後者は小学校高学年から本格的にスタートし、中学生の時に全国大会でベスト16の実績を残しました。相撲の練習に通っていた道場の監督が旭富士関と縁を持っていたことなどから、中学卒業後の平成22年春場所に伊勢ヶ濱部屋に入門して初土俵を踏みました。ちなみに照強関の誕生日は117日で、生まれたのは兵庫県淡路島南部の南あわじ市という所で、阪神・淡路大震災の影響を大きく受けていた頃に誕生した事がテレビなどのメディアで取り上げられて一時話題になったこともありました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=3278

照強関の強みは身長170cm弱で体重が110kg台の小柄な体格を活かして、左四つに組んでから、前まわしを掴んで体を丸めながら寄り切るなどの寄りで、この体勢で左から下手投げを打ったりすることも得意にしています。これらの強みを活かした相撲で少しずつ番付を上げて行き、遂に今年の初場所で関取の座を掴むことができ、関取としては、宮城野部屋所属の石浦関に次ぐ軽量の力士が誕生したことになります。照強関は、この春場所で9勝を上げて関取として始めて勝ち越すことができたことから、今後も活躍を続けて、新入幕を果たすことができるかどうかという点で、楽しみな力士の1人です。ちなみに幕内には先述した石浦関に加えて多彩な技を出して話題を集めている木瀬部屋の宇良関も活躍しており、照強関が、このグループに加わることができるかも注目すべき点ではないかと思います。