出羽海部屋と親方・関取紹介

2017年11月12日

元小城ノ花関が師匠を務める出羽海部屋とは

元小城ノ花関が師匠を務める出羽海部屋は、関取を多く輩出している元小結両国関が師匠を務める境川部屋や、元関脇栃乃和歌関が師匠を務める春日野部屋などが所属する出羽海一門における代表格の相撲部屋となっており、過去に日本相撲協会の理事長を3人も輩出したり、関取を多く誕生させたりする実績を有していました。今から3年前に先代師匠である元関脇鷲羽山関が定年退職する直前に小城ノ花関と年寄名跡を交換する形で師匠が交代して現在に至ります。その出羽海部屋は墨田区の両国界隈に部屋を構えていて、近くには首都高速の両国ジャンクションや昔、両国国技館が置かれていた回向院などがあり、現在の両国国技館へも徒歩10分程度で行くことができる所に位置しています。

現在、出羽海部屋には小結の御嶽海関を始め、幕下5人、三段目7人、序二段3人の計16人の力士が在籍しています。また、元小結小城錦関の中立親方、元小結大錦関の山科親方、元幕内金開山関の高崎親方、元関脇出羽の花関の出来山親方の4人の親方が力士の指導を担当しています。さらに行司・呼出・床山が1人ずつと、世話人を務めている元十両福龍岳関、スカウトとして元十両山錦関も所属しており、少なくとも27人が共同生活をしています。出羽海部屋では、後援会に入会しないと稽古見学ができない仕組みになっているので注意が必要です。ちなみに名門である出羽海部屋のちゃんこ鍋もいろいろありますが、湯豆腐ちゃんこは鶏の手羽先や昆布などから出汁を取り、醤油と鰹節に青海苔を加えたものをベースとしたつけダレを用意しておき、木綿豆腐・鶏肉・野菜を、このつけダレにつけて食べるスタイルとなっています。過去には味噌味と鶏塩味のちゃんこ鍋がネットで市販されていたこともありました。

出羽海部屋の師匠、元小城ノ花関の紹介

現在、出羽海部屋の師匠を務めている元小城ノ花関は昭和42年11月生まれの49歳で、父親が当時、第31代横綱常ノ花関が師匠を務めていた出羽海部屋に所属し、関脇まで昇進した元小城ノ花関の元高崎親方でしたが、少年時代は野球中心の生活をしており、相撲は未経験でした。しかし、高校生の時に野球で怪我をしたことが、きっかけで角界に興味を持つようになり、高校に在学して少し経った昭和58年名古屋場所に第50代横綱佐田の山関が師匠を務める出羽海部屋に入門して初土俵を踏みました。ちなみに、この時すでに父親は高崎親方として後進の指導に当たっていたので、小城ノ花関も父の指導を受けて強くなったのかもしれません。

出典: http://www.dewanoumi.net/prof/dewanoumi-akikazu.html

小城ノ花関は相撲が未経験だったり、入門して直ぐに怪我をしてしまったりしたため序ノ口で勝ち越すまで半年かかるなど苦戦を強いられましたが、怪我から復帰した後は左四つに組んでからの上手投げを強みにすることができ、入門から丸6年で関取の座を掴み、さらにその半年後の平成2年初場所で新入幕を果たしました。四股名は幕下に上がる直前に父親の名を継ぐ形で本名の小岩井から小城ノ花に変更しています。幕内では最高10勝をあげたり、東前頭2枚目の番付まで上がったりするなどの活躍を見せましたが、三賞や金星を上げることはできませんでした。それでも、関取に昇進してから引退するまでの9年間は安定して関取の座を保ち、この間に4回も十両優勝する実績を残しています。最終的には平成10年名古屋場所の終盤に30歳で現役を引退しました。そこからの2年間は当時の準年寄制度を使って、四股名のまま協会に残ることができました。そして父親が定年退職することに伴って平成12年に高崎親方として13年半の間、出羽海部屋で後進の指導に当たりました。

師匠の弟で兄弟関取として活躍した元小城錦関の中立親方

現在、出羽海部屋で部屋付き親方として力士の指導などに務めている親方は4人います。まず、元小城錦関の中立親方は昭和46年7月生まれの45歳で、先述した師匠の小城ノ花関の弟です。小城ノ花関が既に出羽海部屋に入門して相撲を取っていた環境などから、小城錦関の場合は中学を卒業して、すぐの昭和62年3月場所に小城ノ花関と同じく出羽海部屋に入門して初土俵を踏みました。

BBM2015大相撲カード「レジェンド」至宝■レギュラーカード■56小結/小城錦

小城錦関は小城ノ花関と同じく、序ノ口の頃に1場所休場しており、昇進まで少し時間がかかった点や、左四つの体勢に組むことが多い点までは共通していますが、左四つからの寄り切り等の寄りを得意としており、この得意を活かした相撲で入門して5年近くで関取の座を掴み、入門して6年後の平成5年夏場所には新入幕を果たしました。入幕してからは1度十両に落ちたものの、そこから返り咲いた場所で11勝を上げて三賞の1つである敢闘賞を受賞すると、直ぐに幕内上位の番付で相撲が取れるようになり、平成6年春場所には東関部屋所属の第64代横綱曙関から初金星を挙げて技能賞を獲得しました。しかし、怪我の影響で1~2年ほど低迷はしたものの、復活してからの3年間は幕内上位の番付にほぼ定着する実力を示し、その間に平成の大横綱の1人として知られている二子山部屋所属の第65代横綱貴乃花関から金星を獲得したり、平成9年名古屋場所には現役生活唯一の小結に昇進したりする活躍を見せました。後半は上腕の三頭筋という部分を、複数回怪我をして、休場する場所もありましたが、最終的に関取に昇進してからの12年間、十両以下の番付に落ちることなく、平成16年初場所中に32歳で現役を引退し、中立親方として後進の指導に当たっているほか、NHK等の相撲中継の解説に高い頻度で登場し、その解説の内容が丁寧であるという高評価を得ている親方として活躍しています。

花のニッパチ組の一人として活躍した元大錦関の山科親方

現在、山科親方として後進の指導に当たっている元大錦関は昭和28年9月生まれの63歳で、昭和の大横綱として活躍した三保ヶ関部屋所属の第55代横綱北の湖関や元間垣部屋師匠で二子山部屋所属の第56代横綱若乃花関と同じく、花のニッパチ組として幕内の土俵を盛り上げた1人とされています。大錦関は中学3年生のときに地元の佐渡島で、実家近くの会社からのスカウトなどから上京して、昭和43年夏場所に出羽海部屋から初土俵を踏みました。

大錦関の強みは左四つに組んでから、寄って出たり、上手投げを決めたりする内容で、これらを活かして入門して丸5年で関取の座を掴み、その半年後には丁度20歳で新入幕を果たしました。そして、その場所にいきなり佐渡ヶ嶽部屋所属の第53代横綱琴櫻関から金星を獲得するなどの活躍を見せて11勝を上げ、殊勲賞・敢闘賞・技能賞の三賞を全て独占するデビューを飾りました。この次の昭和48年九州場所には現役で唯一の小結まで昇進しましたが、膝の怪我や糖尿病などの影響で成績は低迷したものの、関取の座を掴んでから引退するまでの約15年間は安定して、関取として土俵に立ち続けることができ、その間には、昭和の大横綱の1人である九重部屋所属の第58代横綱千代の富士関など、5人から8個の金星を上げるほどの実力を持っていました。立浪部屋所属の第61代横綱双羽黒関から金星を勝ち取った半年後の昭和63年初場所終了後に現役を引退し、山科親方として約30年間、出羽海部屋で指導をしているベテランの1人となっています。

毎年のように名前が変わる親方生活を送った元金開山関の高崎親方

現在、高崎親方として後進の指導に務めている元金開山関は昭和41年1月生まれの41歳で、中学卒業と共に出身の長崎県から上京して、平成3年春場所に出羽海部屋に入門して初土俵を踏みました。

金開山関の強みは右四つに組んでからの寄りで、入門して7年弱で関取の座を掴み、この半年後の平成10年名古屋場所には新入幕を果たすことができました。ところが、立ち合いで遅れることが多い等の弱点を相手につかれることなどから、幕内力士として活躍できたのは現役生活の20%弱の17場所に止まったり、右膝関節の捻挫などの怪我で1年間幕下に陥落してしまったりするなど低迷してしまいましたが、その怪我から復帰した平成15年名古屋場所から1年間は安定して幕内の土俵に立つことができ、東前頭6枚目まで番付を上げることもできました。入門してから15年ほどたった、平成18年夏場所終了後に30歳で現役を引退し、金開山のまま出羽海部屋に残って後進の指導に当たっていましたが、正式な年寄名跡を取っていなかったことから、ほぼ1年に1回のペースで計7回も名前を変えながら親方としての生活を送っていました。具体的には関ノ戸・稲川・千田川・田子ノ浦・岩友・三保ヶ関と経て、今から3年前の平成26年4月に高崎親方として正式に株を取得して現在に至ります。

入幕までに力を蓄え、幕内上位で活躍した元出羽の花関の出来山親方

出羽海部屋で出来山親方として指導をしている元出羽の花関は昭和26年5月生まれの65歳で、すでに定年を迎えましたが、参与という形で協会に残って力士の指導を中心に活躍しています。出羽の花関は地元青森県の高校を卒業後に上京して、日本大学で相撲経験を積み、そこで学生横綱に輝くなどの実績を残したことが評価され、従兄の紹介を経て、卒業後の昭和49年春場所に出羽海部屋に幕下付出として入門し初土俵を踏みました。

出羽の花関は入門して1年後には関取の座を掴んだものの、軽量力士だったことなどから1度は1年間の幕下生活を再び過ごすことになりましたが、その間に、右四つに組んでからの寄りや出し投げ等の強みを磨いていき、入門して4年近く経った昭和52年九州場所で新入幕を果たしました。それ以降、引退するまでの10年間は十両に落ちることなく幕内の土俵で相撲を取り続け、特に昭和57年からの2年間は、ほぼ関脇など三役の座に定着するまでに実力が付くようになり、この間に三賞は技能賞3回など5回も獲得しています。その後も、小結を7回も経験したり、二子山部屋所属の第59代横綱隆の里関から金星を獲得したりする活躍を見せて先述した大錦関と同じ昭和63年初場所後に現役を引退し、出来山親方として出羽海部屋に残って力士の指導などに当たっています。

現在、出羽海部屋唯一の関取として活躍している御嶽海関の紹介

現在、出羽海部屋に関取として所属している唯一の力士である御嶽海関は、平成4年12月生まれの24歳で、少年時代から相撲一本の生活を送っていました。相撲の実力は本格的に始めた小学生の時は自分より体格が小さい相手に敗れるほどでしたが、そこからの負けん気で5年生の時には全日本小学生相撲大会で準優勝するほどになりました。実力が開花したのは東洋大学に進学してからで、個人戦で15回の優勝に輝いたり、4年生の時には学生横綱とアマチュア横綱の両方を獲得したりする実績を残し、大学の監督の知人の紹介と師匠の勧めなどから大学卒業後の平成27年春場所に、出羽海部屋に幕下付出として入門し、初土俵を踏みました。ちなみに、この付出の番付は10枚目格の最高クラスとなり、これは当時の木瀬部屋に所属していた元清瀬海関と追手風部屋に所属している幕内遠藤関に次いで3人目の事でした。四股名の御嶽海は入門した当時からつけられたもので、出身の長野県にある御嶽山に由来するものとされています。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=3620

御嶽海の強みは廻しを取らずに攻めていく突き押し相撲で、学生時代の実力がそのまま通用する形で、途中に病気の影響で休場した以外はほぼ1年以上にわたって負け越すことなく、番付を上げていき、入門した年のうちに関取の座につき、あっという間に新入幕を果たしました。そして関取になって1年後には新三役に昇進することができました。そこでは相手に組まれてしまうと相撲が十分に取れないなどの課題点から跳ね返されてしまいましたが、突き押しの技術力を高めたり、本番に強い性格だったりする点などから、その次の場所に当たる今年の初場所では伊勢ケ浜部屋所属の第70代横綱日馬富士関と井筒部屋所属の第71代横綱鶴竜関から金星を獲得するなどの活躍を見せ、最終的に11勝の好成績を収めることができました。小結に復帰して迎えた春場所で9番を取って勝ち越すことができ、今後の活躍が期待される力士の1人です。