武蔵川部屋と親方紹介

2017年11月12日

第67代横綱武蔵丸関が師匠を務める武蔵川部屋とは

現在の武蔵川部屋は、今から丁度4年前に第67代横綱武蔵丸関が所属していた旧武蔵川部屋から独立して誕生させたものです。ちなみに旧武蔵川部屋は先代師匠の第57代横綱三重ノ海関が定年を迎えるにあたって元大関武双山関の藤島親方と師匠を交代する形で藤島部屋に名前が変わって現在に至っています。

その武蔵川部屋は江戸川区中央に部屋を構えており、周辺には、国道14号線や江戸川区役所、隣の葛飾区にある新小岩駅界隈の繁華街などがあり、最寄り駅も、このJR総武線の新小岩駅となっており、そこから国技館へは乗り換えなしで、10分で行くことができる位置にあるため比較的通いやすいところに部屋があると言えます。

武蔵川部屋は当初、力士は2人しかいませんでしたが、現在、幕下に部屋頭を務めている武蔵国という師匠と同じアメリカハワイ州出身の力士がおり、本名はフィアマル・ペニタニで師匠の親戚にあたり、スポーツ経験はアメリカンフットボールと砲丸投げがあり、高校卒業後に来日して入門しました。後述しますが、師匠と経歴が少し似ているという特徴もあります。力士は他にも三段目に和山、序二段には小林、中島、横江、葉梨、武士、武拳、流武、人見の計8人、序ノ口に風武、若一郎、姫勝山、徳田、西村の計5人がおり、さらに今年の春場所から1人も加わったので、計16人の力士が在籍していることになります。力士は殆ど平成生まれの若手力士であるため、本名のまま相撲を取っている人も多いですが、四股名が与えられるとして、武蔵川部屋の「武」の1字が与えられているという特徴があることが分かるのではないでしょうか。また、力士以外にも部屋付き親方として元小結垣添関の雷親方が後進の指導に当たっているほか、床山1人も所属しており、少なくとも20人が共同生活をしています。ちなみに、おかみさんは現在43歳で、師匠の故郷のハワイでは有名であるフラダンス教室を経営していた。師匠と年齢も近く、引退して親方として活動していた9年前に結婚しました。ちなみに挙式を挙げたのもハワイでした。なお、武蔵川部屋では朝稽古の見学は本場所開催前の場合、一般でもできる可能性があり、事前に連絡を取った上で参加するスタイルとなっています。ちゃんこ鍋は色々ありますが、最近では師匠が考案したものとして豚足ちゃんこ鍋があり、これは豚足で出汁を取って、具材は豚バラ肉や大根、キノコ類など豚汁と似たようなものを用いているのが特徴的で、この豚足の旨味がしっかりしているとされていて、メディアで取り上げられたこともありました。

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現在の武蔵川部屋の師匠、武蔵丸関の紹介

現在、武蔵川部屋を再興して師匠を務めている元武蔵丸関は昭和46年5月生まれの45歳で、少年時代は地元で有名なアメリカンフットボールのスポーツを経験し、ポジションの1つを任されるほどの実力を持っていました。高校時代に受けたスカウトなどの影響から、高校卒業後に来日し、当時の武蔵川部屋で半年間の試用期間を経て、平成元年秋場所に19歳で初土俵を踏みました。ちなみに武蔵丸関の出身は東関部屋所属の第64代横綱曙関や高砂部屋所属の元大関小錦関などと同じくハワイとされていますが、実際に生まれたのはアメリカ領のサモアという離島でした。

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武蔵丸関の強みは体重が最大235kgもある巨体とアメリカンフットボールの経験を活かした廻しを取らないで一気に突き押す相撲であり、これに加えて先述したハワイ出身の力士では珍しく下半身が安定していた体型を持っていたことから、強みを活かした内容と怪我をしにくい安定性から番付を上げていき、入門して2年弱で関取の座を掴み、そこから半年も満たない平成3年九州場所には新入幕を果たし、その場所は12勝の好成績を収めて三賞の敢闘賞をいきなり受賞する活躍を見せました。その次の場所からは幕内上位の番付に定着するほどの実力を有するようになり、入幕して1年後から大関に昇進するまでの1年半の間は関脇を連続して務めました。その間に金星はなかったものの、三賞を4回獲得したり、13勝を上げて優勝同点の成績を残したりする実績を残しました。そして関脇の番付で半年間に33勝の好成績を収めたことから平成6年初場所後に22歳で大関に昇進できました。ちなみに、この昇進は二子山部屋所属で元音羽山親方の元大関貴ノ浪関と同じで、この2人は引退するまで58回対戦するなど、ライバル関係を築いていました。2年前に貴ノ浪関が亡くなった際は、「友達が1人いなくなってしまった」などのコメントを残しました。

大関昇進後も10勝以上を安定的に収める実力を有しており、3回の幕内最高優勝を果たす実績をあげましたが、連続優勝でないことや、これまでの強みだけでは対戦相手に通用しにくくなったことなどから横綱まであと1歩の状態が続きました。しかし、これまでの強みに加えて右を差してから相手の重心を強制的にあげて崩すという新たな強みを得た事などにより、平成11年夏場所後に2場所連続で13勝の成績を収めて幕内最高優勝を果たしたことから、28歳で第67代横綱に昇進することができました。横綱土俵入りの型は師匠と同じ雲竜型を選択しました。横綱に昇進してからは、取り組み中に左手の関節三角線を損傷したり、左膝の関節を捻挫したりする怪我を負って休場する場所もありましたが、3年半の間は優勝回数を重ねたり、優勝決定戦に進出したりする実績を残し、横綱の地位で7回の優勝を経験できました。

しかし、先述した怪我の状況が悪化した事などから、手術を受けることになり、その後は延べ1年間休場せざるを得なくなりました。そして平成15年九州場所中に現役を引退し、武蔵丸のまま5年間は親方として活動し、その後は振分親方として武蔵川部屋に残って後進の指導に当たりました。その後は大島に名前を変えた後、先代師匠が定年退職することに伴って武蔵川を継承しました。これに伴って下の名前も先代師匠の晃偉にならって光偉になり現在に至ります。

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唯一、武蔵川部屋で後進指導に当たっている元小結垣添関の雷親方

現在、武蔵川部屋で部屋付き親方として後進の指導に当たっている元垣添関の雷親方は昭和53年8月生まれの38歳で、少年時代から相撲中心の生活を送っていましたが、陸上競技も強く、地元大分県の大会の100m走で優勝したほどの実力を持っていました。勿論、相撲の実力もあり、中学生横綱に輝いたり、日本体育大学4年生の時には学生横綱を取得し、全国学生相撲選手権大会でも活躍したりするほどでした。この実績が評価されて大学卒業後の平成13年春場所に武蔵川部屋に入門して、幕下付出として初土俵を踏みました。

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垣添関の強みは師匠と同じく廻しを取らずに攻めていく突き押し相撲で、入門してから暫くは学生時代に負った左膝前十字靭帯の断裂などの怪我の影響などで休場するなどしたものの、次第に強みが活かされていき、入門して丸2年後には関取の座を掴み、半年後の平成15年秋場所には新入幕を果たしました。入幕して4年間は特に幕内上位の番付に定着する実力を発揮するようになり、11勝を上げて三賞の1つである技能賞を獲得したり、その次の場所には唯一の小結の座に就いたりする実績を残しました。その後も連続して7年間は幕内の土俵に定着して活躍するなどしたものの、取り組み中に負った右膝の半月板断裂の怪我などが影響したため、番付を下げていき、幕下に陥落して1年後の平成24年夏場所前に33歳で現役を引退しました。初めは押尾川親方として藤島部屋に残って後進の指導に当たりましたが、半年後に現在の雷親方に名前変更し、現師匠が武蔵川部屋を再興した5か月後の平成25年秋場所前に、そこに移って現在に至ります。ちなみに引退する2年前の平成22年秋場所後に、部屋は武蔵川部屋から藤島部屋に変更されました。