田子ノ浦部屋と親方・関取紹介

2017年11月16日

元隆の鶴関が師匠を務める田子ノ浦部屋とは

元隆の鶴関が師匠を務めている田子ノ浦部屋は、今から31年前に二子山部屋で後進の指導に当たっていたおしん横綱として知られている第58代横綱隆の里関の鳴戸親方が、そこから独立して誕生させたのが始まりで、平成23年九州場所中に病気のため59歳で急死したため、急遽、隆の鶴関が鳴戸部屋を継承しました。それから2年ほどたった平成26年初場所前に年寄名跡関係の影響で田子ノ浦に名前を変えることになり、部屋の名前も田子ノ浦部屋に変更されて現在に至ります。

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その田子ノ浦部屋は、現在江戸川区の東小岩に部屋を構えており、柴又街道と国道14号線の交点付近に位置しています。周辺には江戸川や新中川があり前者は緑地公園で憩いの場になっています。東京都内ですが、歩いて20分ほどすると千葉県に入ることができるなど少し遠い位置にありますが、国技館へは最寄りのJR総武線小岩駅から乗り換えなしで行くことができます。ちなみに、鳴戸部屋だったころは千葉県松戸市に部屋がありましたが、先述の変更によって部屋を移動することになり昔の三保ヶ関部屋を1年ほど借りて生活したうえで、2年前に現在の位置に移転しました。現在、田子ノ浦部屋には第72代横綱稀勢の里関と関脇高安関をはじめ、三段目1人、序二段4人の計7人の力士が所属しており、この他に行司が2人、呼出と床山がそれぞれ1人、さらに元関脇若の里関の西岩親方を加えて少なくとも13人が共同生活をしています。

田子ノ浦部屋の朝稽古の様子は一般にも開放されていますが、部屋のフェイスブックなどで確認する必要があったり、後援会員を優先したりする点に注意が必要です。ちなみに、稽古内容は鳴戸部屋だったころは他の部屋に一切出稽古に行かないなど、先代師匠の方針が反映された独特の稽古スタイルでしたが、現在は他の相撲部屋と同様の方針になっています。また、ちゃんこ鍋はラーメンであるものの、部屋が監修している、サッポロ一番シリーズとして醤油味と鶏塩味の2種類がスーパーなどで市販されており、これを通じて近い味が楽しめるのではないかと思います。

田子ノ浦部屋の師匠、元隆の鶴関の紹介

現在田子ノ浦部屋の師匠を務めている元隆の鶴関は昭和51年6月生まれの40歳で、現在九重部屋の師匠を務めている元大関千代大海関や、振分親方として東関部屋で指導している元小結高見盛関らと同じ昭和51年生まれとして土俵を盛り上げた、いわゆる「花のゴーイチ組」に1人とされています。中学卒業後の平成4年春場所に地元の鹿児島県から上京して当時、隆の里関が師匠を務めていた鳴戸部屋に入門して初土俵を踏みました。


出典: https://www.daily.co.jp/sumo/2013/12/26/0006597555.shtml

隆の鶴関の強みは身長190cm近くに対し体重が180kg近い、あんこ型の体型で左四つに組みとめてから寄り切る等の寄りで、これを活かす形で入門して3年半は順調に番付を上げていくなど実力を伸ばして行きましたが、途中で持病であった両足親指の状態が悪化して、相撲を取るのが難しくなってしまい、通算1年半も休場して治療に専念せざるを得なくなってしまい、再び前相撲から取らざるを得ない状況になってしまいました。しかし、それでも復帰後は順調に番付を上げていって復帰して4年弱、入門から9年後には遂に関取の座を掴み、入門して11年近く経った平成15年初場所には26歳で新入幕を果たすことができました。その後は、幕下に1場所落ちたものの、ほぼ5年間にわたって関取に定着して土俵を務め続けることができ、このうち幕内を5場所務め、2回勝ち越すなどの実績を残して30歳になる少し前の平成18年夏場所中に現役を引退しました。そこから1年間は、この四股名のまま親方として活躍していましたが、若の里関から権利を借りる形で西岩親方として鳴戸部屋に残って後進の指導に当たりました。隆の里関が亡くなった平成23年九州場所中に部屋を継承する形で鳴戸親方として師匠を務めていましたが、先述の事から現在は田子ノ浦親方として後進の指導に当たっています。

三役を中心に活躍した花のゴーイチ組の1人である元関脇若の里関の西岩親方

現在、田子ノ浦部屋で部屋付き親方として後進の指導に当たっている元若の里関の西岩親方は昭和51年7月生まれの40歳で、隆の鶴関と同い年で、同じく「花のゴーイチ組」の1人として幕内の土俵で活躍していました。故郷は相撲どころで有名な青森県で、少年時代は小学校中学年から相撲一本の生活で、中学生の時には相撲部に入部するために学区外の中学校へ往復10kmを通っていたほどです。同じく花のゴーイチ組で同郷の高見盛関や藤島部屋で清見潟親方として後進の指導に当たっている元幕内武州山関らと凌ぎを削って力を蓄えていき、中学校入学前にスカウトを受けた縁から卒業後の平成4年春場所に鳴戸部屋に入門して初土俵を踏みました。つまり、先述した隆の鶴関と同期ということになります。

若の里関の強みは腕力が強いことを活かして、右四つに組んでから寄り切ったり、投げたりすることで、特に後者は廻しを取らずに下手から投げる掬い投げが得意としており、左四つや双差しになっても同様な強みを発揮することがありました。これらの強みを厳しい稽古で磨いていくことで、活かせるようになり、入門して5年半ほどで関取の座を掴み、半年後の平成10年夏場所で新入幕を果たしました。この場所も10勝の好成績を収めて敢闘賞をいきなり受賞するデビューとなりました。しかし、取り組み中に右の腓骨を骨折したり、左膝の半月板を損傷したりする怪我に見舞われ通算で半年間も休場せざるを得なくなってしまいました。しかし、それらの怪我から復活してからは幕内上位の地位に5年間も定着する実力を示すようになり、この間に三賞の殊勲賞を4回、敢闘賞を3回、技能賞を1回の計8回も受賞したり、3年以上、三役の番付に連続して名が載るようになったりするほどの実績を残しました、そして27歳の時の平成15年秋場所と翌平成16年九州場所ではそれぞれ関脇の地位で2場所計21勝を上げ大関昇進へリーチをかけたこともありました。ところが、大体二頭筋を断裂したり、右の前十字靭帯を傷めたりしたことなどから途中休場などの形で場所を皆勤することが難しくなってしまいました。それでも、怪我前には二子山部屋所属の第66代横綱若乃花関や高砂部屋所属の第68代横綱朝青龍関からそれぞれ金星を獲得したり、怪我で休場して十両に落ちてもすぐに幕内に復帰したりするなどの活躍を見せることができ、最終的にはほぼ15年間幕内に定着して土俵を務めることができ、平成27年名古屋場所後に38歳で現役を引退し、西岩親方として田子ノ浦部屋に残って後進の指導に当たっていますが、今年に入って独立する可能性が取り沙汰されており、今後の行方が気になる親方の1人です。ちなみに、この現役を引退した場所は同じ場所で初土俵を踏んだ、角界のレジェンドとして知られる友綱部屋で後進の指導に当たっている元関脇旭天鵬関の大島親方と同じだったことから、共に干支2周にあたる24年近くも幕内中心に相撲が取れる力を保ったまま土俵を務めたことになるのではないかと思います。

第72代横綱に昇進し、成長著しい稀勢の里関

現在、田子の浦部屋で幕内力士として活躍しているのは2人おり、まず今年の春場所で第72代横綱に昇進した稀勢の里関は昭和61年7月生まれの30歳で、境川部屋所属の大関豪栄道関や、伊勢ケ濱部屋所属の宝富士関らと共に現在、幕内の土俵で活躍している力士が多い昭和61年度生まれのグループの1人です。ちなみに、このグループのことを「花のロクイチ組」と呼ぶこともあります。稀勢の里関は少年時代、相撲に興味はありましたが、野球中心のスポーツを経験しており、その実力は中学3年生の時に地元の茨城県における複数の強豪校からスカウトを受けたほどでした。その頃には相撲に対する思いが勝り、卒業後の平成14年春場所に当時の鳴戸部屋へ入門して初土俵を踏みました。


出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2445

稀勢の里関の強みは、廻しを取らずに左から強制的に相手の重心を上げるおっつけを用いて突き放してから攻めていく突き押し相撲で、これを活かして中学卒業としては速いスピードで番付を駆け上がっていき、入門して2年ほどで関取の座を掴み、さらに半年後の平成16年九州場所には18歳3ヶ月で新入幕を果たしました。これは平成の大横綱の1人である第65代横綱貴乃花関の17歳8か月に次ぐ若さでの昇進であり、関取昇進も同じく年少記録2位となっています。その後も少しずつ実力を伸ばしていき、20歳になった頃には幕内上位の番付に定着するほどになりました。関脇に定着した平成22年までに殊勲賞と敢闘賞の三賞をそれぞれ3回ずつ受賞したり、高砂部屋所属の第68代横綱朝青龍関と宮城野部屋所属の第69代横綱白鵬関から計3個の金星を獲得したりする実績を残しています。先代師匠が亡くなった平成23年九州場所後に関脇で1年間安定した成績を残している点や相撲内容で高評価を得た事などから、25歳で大関に昇進しました。

この頃からは左四つに組み止めてから寄り切る等の相撲も身につけられるようになり、安定して2桁の白星を重ねるなど、大関として問題ない成績を収め続けられる実力を持っていましたが、相手に簡単に差されてしまったり、立ち合い時に重心が相手より高いことからバランスを崩されやすかったりする技術面の問題や、大事な一番で緊張して星を落としてしまう精神面の問題が響いて優勝できない状態が続いてしまいましたが、昨年あたりから後者を中心に課題を克服してきた点や、怪我で休場したのが1つだけという丈夫な体であり続けられた点などから、安定して12勝を上げられるようになり、遂に今年の初場所に14勝の好成績で初優勝を果たし、場所後には、この安定した成績などを評価されて第72代横綱に昇進できました。これは二子山部屋所属の第66代横綱若乃花関以来、19年ぶりの日本出身横綱である点や、入幕して12年かかるスロー出世だった点などから話題になり、この春場所だけでなく、これ以降も横綱としてどのような活躍を見せてくれるのかが楽しみな力士となっています。

大関一歩手前まで上り詰めている高安関

田子ノ浦部屋所属の、もう1人の関取である高安関は平成2年2月生まれの27歳で、出身が茨城県である点や、少年時代は野球に打ち込んでいた点は稀勢の里関と共通していますが、ピアノに対して少し興味を持っていた点や母親がフィリピン時のハーフである点は異なります。父親や先代師匠の勧めなどから中学卒業後の平成17年春場所に鳴戸部屋に入門して初土俵を踏みました。


出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2775

高安関は身長186cmに対して体重が180kg近い、あんこ型の体型であるため、この体型を活かして廻しを取らずに攻めていく突き押し相撲が稀勢の里関と同様に強みとなっていますが、左四つに組んでから寄って出たり、上手や下手から投げたりすることも得意となっています。また、上手捻り等の捻り技で相手を崩すこともあります。これらの強みを活かして入門から6年弱で関取の座を掴み、半年後の平成23年名古屋場所で新入幕を果たしました。ちなみに新十両を果たしたとき、平成生まれ初の関取として、千賀ノ浦部屋所属の元舛ノ山関と共に一時話題になったこともありました。入幕後は少しずつ実力を上げていき、入門して8年が経ったころから幕内上位の地位に定着するようになり、三賞を敢闘賞4回など、計8回獲得したり、白鵬関や日馬富士関から計4個の金星を上げたりするなどの実績も残しました。そしてここ1年間は三役の座にも定着するようになり、去年の九州場所までに三役の地位で2場所通算21勝を上げた事で大関への挑戦権を獲得したことがあるなど、今後の期待が楽しみな力士の1人です。ちなみに今年の夏場所も大関への挑戦権を獲得しており、昇進できるかどうかも気になる所だと思います。