春日野部屋と関取紹介

2017年11月16日

元関脇栃乃和歌関が師匠を務める春日野部屋とは

現在の春日野部屋の師匠は元関脇栃乃和歌関で、先代師匠の第49代横綱栃ノ海関が定年退職したことにより、14年前に春日野部屋を継承して現在に至ります。この春日野部屋の伝統は古く、昭和10年から82年間関取を輩出し続けている実績を持つ名門となっており、この記録は現在1位の最長記録となっています。

春日野部屋は隅田川沿いで首都高速の両国ジャンクションの近くに部屋を構えていて、周辺には昔、国技館が置かれた回向院があります。国技館へも歩いて十数分で行くことができる所に位置しています。現在、所属している力士は、幕内で栃煌山関、栃ノ心関、碧山関の3人が活躍しているほか計20人おり、四股名に栃が付く力士が多く、次いで碧という字も多くなっているのが特徴です。後者は今から5年前に師匠の急死で閉鎖された田子ノ浦部屋の力士の一部を引き取ったことによるものです。

また、春日野部屋には力士以外にも部屋付きの親方が6人、行司が三役格の木村庄太郎を始め3人、呼出が最高位の立呼出である拓郎を始め2人、床山が最高位の特等床山である床松を始め2人、さらには若者頭や世話人といった裏方の元力士も3人在籍しており少なくとも38人が共同生活する大所帯となっています。

現在の春日野部屋の師匠、元栃乃和歌関の紹介

現在、春日野部屋の師匠を務めている元関脇栃乃和歌関は昭和37年5月生まれの54歳で、四股名が示すとおり和歌山県で誕生し、高校時代に地元では野球留学や相撲留学するほどの強豪校として知られている箕島高校に入ってから本格的に相撲を始めました。明治大学に進学してからは全国大会に出場するほどの実績を残して、幕下付出の資格として卒業後の昭和60年春場所に栃若時代として昭和30年前後の土俵を盛り上げた1人である第44代横綱栃錦関が師匠を務める当時の春日野部屋へ入門し初土俵を踏みました。ちなみに栃乃和歌関の本名は綛田清隆で、栃錦関の四股名である栃錦清隆と下の名前が同じになっていますが、これは栃乃和歌関の祖母が栃錦のファンであったことから下の名前に全く同じ「清隆」をつけたとことによるものとされています。

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栃乃和歌関は廻しを取らずに責める突き押し相撲を強みにしており、この相撲で入門して1年半後には関取に昇進することができ、十両も連続10勝の成績を残して昭和62年初場所に新入幕を果たすことができました。ちなみに、そこから引退するまでの約13年間は一度も十両落ちることなく幕内上位の土俵で活躍してしました。先述した相撲内容で新入幕した年のうちに関脇まで昇進し、その間に敢闘賞と殊勲賞の2つの三賞を獲得したり、丁度入幕して1年後には芝田山部屋の師匠を務める第62代横綱大乃国関から初金星を挙げたりするなどの活躍を見せました。また、この場所を除いて2年近くも三役の地位に定着するほどの実力も持っていました。相撲内容を右四つに組んでから寄り切ったり、左上手を取って投げたりする方法に変えてからは三役の地位で10勝以上を安定して挙げ、入門して7年後には小結の地位で12勝を収めるなどしたため、大関候補とも呼ばれた時期もありました。力士生活の後半でも平成の大横綱の1人である第65代横綱貴乃花関から金星を34歳で上げるなどの活躍を見せて、平成11年名古屋場所中に怪我で途中休場した後、現役を引退し、3年半の間、竹縄親方として春日野部屋に残って後進の指導に当たりました。

師匠と似た相撲経緯で10年間幕内を務める栃煌山関

現在、春日野部屋に所属している関取は3人いますが、まず栃煌山関は昭和62年3月生まれの30歳で、田子の浦部屋所属の第72代横綱稀勢の里関や境川部屋所属の大関豪栄道関などと同じ昭和61年度生まれの力士で、現在幕内の土俵を盛り上げている世代の1人です。ちなみにこの世代のグループを昔の「花のニッパチ組」になぞって「花のロクイチ組」と呼んでいることもあります。その栃煌山関は地元の高知県でも相撲が盛んな町であることや家族に相撲好きがいた環境から少年時代から相撲中心の生活を送っており、小学校低学年には本格的に相撲を始めるようになりました。それから2年後には精神的な面で、4年後には体力的な面で強さを身につけ、わんぱく相撲の全国大会に出場したり、全国中学体育大会を制覇して中学横綱に輝いたりする実績を収めることができました。高校は、第68代横綱朝青龍関を輩出するなど全国的に相撲の強豪校として知られる明徳義塾高校に進学して体力作りに励み、卒業前の平成17年初場所に、わんぱく相撲で宿泊した縁などから春日野部屋に入門して初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2769

栃煌山関も師匠と同じく体重が150kgを超えており、廻しを取らずに押していく相撲に強みを持っており、この相撲が活かされて入門してから1度も負け越すことなく、約1年半で関取の座を掴み、そこから半年後の平成19年春場所で新入幕を果たしました。ちなみにこの場所も11勝の好成績を収めて三賞の1つの敢闘賞をいきなり獲得できました。この時、丁度20歳になったばかりで、そこから1度も幕内から陥落しておらず、10年間安定して幕内の土俵に定着している力士といえるのではないかと思います。そこから少しずつ実力を上げていき、新入幕から2年強で小結に、3年半で関脇にまで番付を昇進することができました。

4年ほど前からこれまでの押し相撲から右四つに組んでから双差しになったり寄ったりする相撲に変わってからは、安定して三役から幕内上位の地位に定着するほどの実力を示したり、現在活躍している宮城野部屋所属の第69代横綱白鵬関から井筒部屋所属の第71代横綱鶴竜関までの3横綱全員から1個ずつ金星を上げるなどの活躍を見せたりするなど実力が向上していましたが、左肩関節の脱臼や足首の怪我などの影響から今年に入って番付が下がっており、そこからの再復活が期待されている力士の1人です。

大怪我からの復活で強さを増している栃ノ心関

栃ノ心関は昭和62年10月生まれの29歳で、少年時代は主に柔道と出身地ジョージアで普及している格闘技であるチオダバとサンボを経験しており、特にサンボではヨーロッパ王者になるほどの実力がありました。ちなみに、このサンボはジョージアを含め旧ソビエト連邦で作られた護身術のような格闘技のことです。また、2年前まで出身国はグルジアと呼ばれており、栃ノ心関を紹介する際もグルジア・ムツケタ出身と館内放送が流れたこともありましたが、この年の夏場所から放送で流すなどの際もジョージア出身と変更されています。これらのスポーツ経験で培った力により世界ジュニア相撲選手権で準優勝などの実績を残しました。同じジョージア出身で追手風部屋に所属していた黒海関や家族と相談した上で高校卒業に当たる平成18年春場所に来日して、春日野部屋に入門する形で角界の門を叩きました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2895

栃ノ心関の強みは握力や足腰が強いことから、右四つに組みとめた後、寄り切ったり、左上手を取って投げで仕留めたりすることで、特に前者は寄り切る際に相手を持ち上げて土俵の外に出す吊り出しを時々見せて、土俵を沸かせることもあるほど力が強いことが分かると思います。後者も力が強いことが故に決まる確率が高まると考えられます。このような強みを活かした相撲で入門してから1度も負け越すことなく、2年後にはジョージアで2人目の関取の座を掴み、そこから2場所後の平成20年夏場所では新入幕を果たしました。その後も、暫くは幕内の土俵に定着する力が身に付くようになり、その間に三賞の1つである敢闘賞を3回受賞したり、小結を合計4場所務めたりするなどの活躍を見せました。ところが、取り組み中に右膝の前十字靭帯と側副靭帯を断裂する大怪我を負ってしまい途中休場した後は、半年間も土俵を離れざるを得なくなってしまいました。しかしそれでも、土俵に復帰した後は幕下と十両の4場所を連続優勝するという好成績を収めて1年以内に復活し、それ以降は廻しの取り方を改善するなどして投げ技を強みにするようになったことが一因で、幕内上位に定着する実力を持つようになり、この内容を評価されて技能賞を獲得したり、2年前には伊勢ケ濱部屋所属の第70代横綱日馬富士関から金星を勝ち取ったりするなどの実績も残しています。そして昨年の名古屋場所では関脇まで番付を上げることができました。今年の初場所で右膝の半月板を損傷する怪我で休場してしまいましたが、再び、この怪我を直すことで活躍が期待できる力士ではないかと思います。

もう1人のヨーロッパ出身力士である碧山関

碧山関も栃ノ心関と同じくヨーロッパ出身の力士です。出身地は現鳴戸親方で佐渡ヶ嶽部屋に所属している元大関琴欧洲関と同じブルガリアで昭和61年6月に誕生しました。従って先述した栃煌山関と同じ「花のロクイチ組」として活躍している1人となります。少年時代には相撲の他にも、10年間レスリングを経験して力を身につけていき、琴欧洲関の紹介から来日して、平成21年名古屋場所に元久島海関が師匠を務めていた当時の田子ノ浦部屋に入門して初土俵を踏みました。

出典: http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=3208

碧山関の体格は、身長と体重が似たような数値であるほどのあんこ型であるため、この体を活かして押したり、突き放したりする相撲だけでなく、右四つに組み止めてから寄って出ていく相撲にも強みを持っています。これらの強みを活かして入門してから丸2年で関取の座を掴み、そこから2場所後の平成23年九州場所で新入幕を果たしました。ちなみにこの場所も11勝の好成績で三賞の敢闘賞を受賞しました。平成24年春場所前に当時の田子ノ浦部屋師匠が急死したことによって田子ノ浦部屋が閉鎖したことにより春日野部屋へ移動しましたが、その場所で9勝を上げて勝ち越しています。それ以降も、幕内に定着する活躍を見せており、その中でも2年前には関脇を2場所連続で務めたり、第70代横綱日馬富士関からも1個金星を獲得したりする実績を残しており、今後も幕内での活躍が楽しみな力士の1人です。