琴錦関と朝日山部屋

2017年11月1日

BBM2015大相撲カード「レジェンド」至宝■レギュラーカード■35関脇/琴錦

琴錦関は、90年代の相撲界を盛り上げた力士である。

現在、朝日山部屋の師匠は佐渡ヶ嶽部屋に所属していた元琴錦関で昭和43年6月生まれの48歳です。少年時代は相撲の他に柔道を経験しており、後者の実力は昭和59年に行われたロサンゼルスオリンピックで金メダルを獲得した山下選手からスカウトの声がかかるほどでした。ただ最終的に第53代横綱琴櫻関が師匠を務める佐渡ヶ嶽部屋からのスカウトに応じる形で中学卒業後に、出身の群馬県から上京して相撲界の門を叩きました。入門して3年半の間は本名をベースにした四股名である琴松沢として相撲を取っていましたが、関取が狙える位置に着いたため、当時の先代師匠の四股名を、そのままもらう形で琴錦に変えました。

琴錦関は身長が177cmで小柄な力士でしたが、立ち合い後の一気の突き押し相撲で番付を上げていき、入門から丸4年で関取に昇進し、さらに1年後には新入幕を果たし、そこから11年間、幕内の土俵に定着できました。この取り口のことをF1相撲と呼ばれることもあります。この強みが、まず活かされたのは平成2年からの2年間でした。この期間中に第58代横綱千代の富士関と現在、日本相撲協会理事長を務めている第61代横綱北勝海関の九重部屋力士から2つの金星を獲得したり、三賞を8回受賞したりする成績を残しました。これは番付面でも現れ、平成2年九州場所からほぼ1年連続して関脇の座に定着しています。そして平成3年秋場所には東前頭5枚目の番付で13勝を上げて幕内最高優勝を果たしました。即ち平幕での優勝という珍しい記録を残したことになります。ちなみに敗れた2敗は、後の第65代横綱貴乃花関と第66代横綱若乃花関によるものでした。

この活躍後も、関脇などの三役の番付を安定して維持する実力を示し、若貴時代で盛り上がった1990年代の大相撲人気の役力士となっていたと考えられます。F1相撲のような正攻法の相撲だけでなく、時には現藤島部屋師匠の元大関武双山関や二子山部屋に所属していた元関脇貴闘力関の2人に対して跳び箱のように飛ぶ動きに近い八艘飛びを見せるようなこともして土俵を盛り上げていました。

平成10年代になると琴錦関は30歳代になり、右大腿筋を痛めるなどの怪我が増えてきましたが、その中でも第64代横綱曙関など3人の横綱から6個の金星を上げたり、三賞を4回獲得したりする成績を残しました。そして、先述の怪我で途中休場した後の平成10年九州場所に西前頭12枚目の番付で2度目の平幕での優勝を果たすことができました。この記録は未だに破られていません。

琴錦関は平成12年秋場所で現役を引退しましたが、その間に三役を通算34場所も務めました。これも史上1位の記録となっています。現役を引退した後は佐渡ヶ嶽部屋に残って後進の指導に当たりましたが、年寄株を正式に取得していなかったため、ほぼ3年に一回のペースで年寄株を借りながらの親方生活を送っていました。

琴錦関が師匠を務める朝日山部屋とは

元琴錦関は昨年1月に朝日山株を正式に取得し、この5か月後に当時所属していた尾車部屋から独立して朝日山部屋が誕生させました。

その朝日山部屋は千葉県鎌ケ谷市に部屋があり、周辺には自衛隊の松戸駐屯地があります。最寄り駅は新京成線のくぬぎ山駅で、そこから国技館に行くには少なくとも2回の乗り換えが必要なので、やや離れた位置に部屋を構えていることになります。部屋に所属している力士は幕下の朝日龍を始め3人のみですが、いずれも平成7年以降に生まれている若手の力士となっています。

朝日山部屋では平日の昼間に料理教室やパン教室などの講座を開いている点が他の相撲部屋には少ない特徴ではないかと思います。なお、朝稽古の見学は後援会かファンクラブに入会しないとできない仕組みになっておりますが、後援会に入会すれば部屋のちゃんこ鍋を食べる機会が与えられ、これらは何れも朝日山部屋の公式ホームページから入会することができます。