鏡山部屋と力士紹介

2017年12月4日

元多賀竜関が師匠を務める鏡山部屋とは

現在の鏡山部屋の師匠は元多賀竜関で、今から約20年前に先代師匠が亡くなったことによって部屋を継承しました。この先代師匠は伊勢ノ海部屋に所属していた第47代横綱柏戸関で、現役時代は第48代横綱大鵬関と共に柏鵬時代を築いて昭和30年代から40年代にかけての土俵を盛り上げた力士の1人として知られています。この柏戸関が所属していた部屋から独立して誕生したのが鏡山部屋です。

鏡山部屋があるのは、東京都葛飾区の新小岩で、最寄りのJR新小岩駅から国技館まで乗り換えなしで行くことができます。また、隣の江戸川区まで歩いて数分の位置で、江戸川区役所へも徒歩10分で行くことができる所に部屋を構えています。現在部屋には力士が後述する2人しかいませんが、元前頭起利錦関の勝ノ浦親方とベテランの若者頭である元十両伯龍も所属しているため、少なくとも6人が共同生活しています。

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鏡山部屋の師匠、2つの国技館の記録に残る元関脇多賀竜関の紹介

現在の鏡山部屋の師匠である元多賀竜関は昭和33年2月生まれの59歳です。少年時代には野球を経験しており、野球枠での高校進学も決まるほどの実力でした。中学卒業後は職業訓練校に通うなどし、1年後に地元企業の先代師匠との縁を基に、鏡山部屋に入門しました。

鏡山関は入門から7年後に関取に昇進し、8年余りたった昭和57年夏場所で新入幕を果たしました。右四つから寄りや出し投げを強みにしているのが特徴で、最終的には幕内をほぼ8年間務めることができました。その中で関脇を1場所、小結を1場所務めています。

国技館は昭和60年初場所に今の両国国技館に移転しましたが、それまでは台東区蔵前にあった蔵前国技館で本場所が行われていました。ちなみに、この蔵前国技館は現在、東京都の下水道処理施設などになっています。鏡山関は、この2つの国技館で記録に残る力士となっています。

まず昭和59年秋場所が蔵前国技館最後の場所となりましたが、鏡山関は西前頭12枚目の地位で13勝を上げて幕内最高優勝を果たしました。いわゆる平幕優勝で、この場所は自分の強みを十分に発揮して、元大関小錦関や現芝田山部屋師匠の第62代横綱大乃国関、さらには現二所ノ関部屋師匠の元大関若嶋津関などの上位力士を倒したうえでの優勝でした。ちなみに、この場所で受賞した殊勲賞と敢闘賞が現役生活唯一の三賞となり、その次の場所である九州場所では唯一の小結の番付で相撲を取りました。そして両国国技館最初の場所で昭和の大横綱の1人である第55代横綱北の湖関から唯一の金星を獲得しました。北の湖関はこの翌日に現役を引退したため、引導を渡す形となりました。

多賀竜関が現役を引退したのは平成3年夏場所で、これまた昭和の大横綱の1人である第58代横綱千代の富士関と同じ場所でした。このように、多賀竜関は所々で記録に残っている力士と言えると思います。

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鏡山部屋の弟子は鏡桜と竜勢の2人である

鏡山部屋には2人の力士が所属しています。まず、鏡桜は昭和63年2月生まれの29歳で、少年時代にモンゴル相撲の他、バスケットボールやレスリングなど幅広くスポーツを経験しました。中学卒業後に大島部屋に所属していた元小結旭鷲山関のスカウトを受けて来日し、鏡山部屋に入門しました。

出典:http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2609

鏡桜は関取に昇進するまで約10年かかりましたが、その間に右四つの体勢からの左上手投げや、その上手から出し投げで崩して寄るという強みを身につけていき、その1年後に新入幕を果たしました。

関取に3年半定着したものの、昨年以降に腰椎捻挫等の怪我やインフルエンザなどに苦しめられてしまい、幕下に陥落しました。現在、関取復帰を目指して土俵を務めています。

竜勢は、昭和61年7月生まれの30歳で、少年時代は野球やラグビーを経験していました。高校を中退した後、平成15年春場所に初土俵を踏みました。そこからゆっくりと力をつけていき、去年の名古屋場所では幕下優勝を果たすことができ、それ以降も幕下に定着しており、関取昇進が期待される力士の1人と言っても良いと思います。

ちなみに竜勢の父親は鏡山部屋の師匠なので、鏡山部屋は息子とモンゴル出身力士の2人の力士が所属している相撲部屋となっています。

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