伊勢ノ海部屋と関取紹介

2017年11月17日

元北勝鬨関が師匠を務める伊勢ノ海部屋とは

現在の伊勢ノ海部屋の師匠は元北勝鬨関で、今から6年前の秋場所後に先代師匠の元関脇藤ノ川関が定年を迎えたことによって部屋を継承しました。

出典:http://www.isenoumi.org/stable.html

これと同時に伊勢ノ海部屋は、これまで新中川に近い江戸川区内にあった所から東京都文京区に移転しました。そこは白山通りという大通りの一角にあり、東京大学や日本医科大学などの大学が点在する学生街にも近い位置に部屋を構えています。国技館へは地下鉄で行く場合1回乗り換えが必要な点は変わりませんが、距離は若干近くなっています。

伊勢ノ海部屋には現在、幕内で活躍している勢関や錦木関を始め、力士が5人と床山2人、呼出とマネージャーがそれぞれ1人ずつで少なくとも11人で共同生活をしています。

伊勢ノ海部屋では一般客でも稽古見学ができるようになっており、この見学と、ちゃんこ鍋を頂けるツアーが組まれているところもあります。ちなみに、このちゃんこ鍋は様々ですが、有名なのは、ソップ炊きという鶏ガラだしをベースにとり、主菜は鶏もも肉を用いていており、その他は豚汁で使う大根などの野菜類や油揚げが入っているもので、濃いめでコクのある甘辛味になっているのが特徴的です。なかにはキンカンと呼ばれている鶏の内蔵卵が入っていることもあります。2本足で立っている鶏肉を主体に使うことで手をつかず、勝ち星に繋がるということから代々受け継がれているちゃんこ鍋は、この方針を取る相撲部屋がかなりあります。伊勢ノ海部屋でも、このソップ炊きのちゃんこ鍋は昔から受け継がれているものとされていて、先述のツアーなどに参加した場合、そのちゃんこ鍋を味わう機会があるかもしれません。

伊勢ノ海部屋の師匠、元北勝鬨関の紹介

現在の伊勢ノ海部屋の師匠である元北勝鬨関は昭和41年元日生まれの51歳です。

少年時代は中学校を中心にサッカーを経験し、高校に数か月ほど在籍した後、昭和56年夏場所に、伊勢ノ海部屋から初土俵を踏みました。ちなみに、先代の師匠は北勝鬨関と同じ北海道の十勝地方出身だったため、この部屋を選んだ可能性があります。

北勝鬨関は右四つで左の上手を浅く取ってからの寄りなどの攻めを磨いていき、入門から5年半後には関取に昇進し、その2年後に新入幕を果たしました。ちなみに、その場所は平成になって最初の場所で、昭和40年代生まれで初の関取となっています。三賞や金星は取れませんでしたが、現役生活の中で7年間を幕内で、関取としても昇進してから引退するまでの約13年半の間、それぞれ定着するほどの安定的な実力は有していたと言えると思います。

平成12年秋場所に現役を引退した後は勝ノ浦親方として11年間、伊勢ノ海部屋に残って後進の指導に務めるなど活躍しました。ちなみに、北勝鬨関が引退したことで、かつて第55代横綱北の湖関や第58代横綱千代の富士関といった大横綱や大関を多く輩出した北海道出身の関取が消滅したことで一時話題になったこともありました。

相撲界で指折りの美声を持つ勢関

伊勢ノ海部屋に所属している関取は現在、勢関と錦木関の2人おり、共に幕内で活躍しています。

まず、勢関は昭和61年10月に大阪府交野市で誕生しました。境川部屋に所属している大関の豪栄道関は、その隣の寝屋川市で半年前に誕生しており、この2人は同学年となります。ちなみに、この昭和61年度生まれの幕内力士は今年の初場所で10人もおり、この中には第72代横綱稀勢の里関も含まれています。

勢関が相撲を本格的に始めるきっかけになったのは、小学3年生の時に豪栄道関の父親にスカウトされて地元にある古市道場に通い始めた事でした。そこで豪栄道関と共に相撲経験を積んでいきました。その翌年には地元のわんぱく相撲大会で準優勝をするほどの実績を残しました。中学卒業後3年間のフリーター生活の後、その7年前に出会った元関脇藤ノ川関が師匠を務める伊勢ノ海部屋に入門し、平成17年春場所で初土俵を踏みました。ちなみに豪栄道関は、その1場所前に境川部屋に入門しています。

勢関は入門から6年半で関取に昇進し、丁度7年で新入幕を果たしました。4年前から幕内に定着する実力者として活躍しています。彼の強みは右差しから寄りと、右からの小手投げです。特に後者で第71代横綱鶴竜関から去年金星を上げたり、大関の照ノ富士関を破ったりしています。

出典:http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2786

勢関で有名なのは、上位力士を破ったときなどに受けるインタビューの態度と歌声ではないかと思います。前者は、長い相撲を取った後で疲れているにも関わらず、ゆっくりと丁寧に自分の意思を伝えているという点で印象が良く映っています。後者は、演歌や相撲甚句が特に上手であることが相撲界でも知られており、毎年2月に行われているNHK福祉大相撲では、演歌歌手との歌くらべや、関取だけで行われる相撲甚句披露に参加してします。幕下時代には巡業などの際に披露される相撲甚句の担当でした。

江戸時代の大関の四股名を引き継いだ錦木関

錦木関は平成2年8月生まれの26歳です。中学を卒業した直後の平成18年春場所が初土俵です。伊勢ノ海部屋への入門を決めたきっかけは、当時の伊勢ノ海部屋師匠から同じ岩手県出身の元十両四ツ車関の話を聞かされたことが一因とされています。

出典:http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2892

錦木関は、本名の熊谷で相撲を取っていましたが、幕下に定着した平成24年7月場所から今の錦木に変更しました。この錦木という四股名は江戸時代、伊勢ノ海部屋に所属していた大関の四股名であり、これを受け継いだ形になります。その後、強みである押し相撲の力が身に着くようになり、入門から9年後に関取に昇進し、この1年後に新入幕を果たしました。現在までに幕内で2回勝ち越すほどの実力を持っているので、今後期待が持てる力士ではないかと思います。ちなみに視力が0.1しかないため、相撲を取っているとき以外はメガネをつけていることで有名になっています。