阿武松部屋と関取紹介

2017年11月15日

元益荒雄関が師匠を務める阿武松部屋とは

阿武松部屋は元関脇益荒雄関が興した部屋です。元益荒雄関は引退して2年後の平成4年9月に、年寄名跡の阿武松を獲得して所属していた押尾川部屋を離れ、当時の大鵬部屋を経て2年後に誕生しました。

その阿武松部屋は千葉県習志野市にありますが、京葉道路の幕張インターに近いなど、少し足を伸ばせば幕張新都心へ行くことができる所に部屋を構えています。また、最寄り駅はJR幕張本郷駅で、総武線に乗れば乗り換えなしで国技館に向かうことができるため、少し距離は離れているものの、便利ではないかと思います。ちなみに独立して半年間は、この位置でなく、師匠が住んでいた2LDKのマンションの一室でした。

出典:http://onomatu.web.fc2.com/rikisi/rikisyokai.html

現在、阿武松部屋には力士が関取の阿武咲関と阿夢露関を始め、計17人が在籍しており、1等床山の床貴と若手の床山である床雄を含めて少なくとも21人が共同生活をしています。ちなみに、現在は幕下に下がっているものの慶天海も関取を1場所経験しています。

阿武松部屋のおかみさんは現在51歳で、親方より3歳年下です。元プロゴルファーの経歴を持っており、今から27年前に力士会でのコンペのゲストとして招かれたのが出会いのきっかけでした。

阿武松部屋では、事前に連絡を取れば朝稽古の見学が可能となっています。ただし、ちゃんこ鍋を食べることはできません。そのちゃんこ鍋は、さっぱりとして食べやすいのが特徴で、アレンジはされているものの、阿武松部屋直伝のちゃんこ鍋つゆが3種類市販されており、それらで味わうことができます。中でも、鶏塩柚子胡椒味と昆布しょうゆ味はこの特徴が活かされているとの評判があるほどです。

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阿武松部屋の師匠、白いウルフで知られる元益荒雄関の紹介

阿武松部屋の師匠である元益荒雄関は昭和36年6月に福岡県で生まれました。同じ九州の佐賀県出身で元大関大麒麟関が師匠である当時の押尾川部屋から直接スカウトされて、高校を2年在籍した上で、そこに入門しました。そこで、右四つからの寄りや下手投げといった強みを習得し、入門してから4年余りたった昭和58年名古屋場所で関取の座を掴むことができ、四股名を本名の手島から益荒雄に変えました。ちなみに1回幕下に陥落していた時期があり、その際は本名に戻しています。この例は八角部屋に所属している隠岐の海関も該当します。

益荒雄関が最も活躍していたのは今から丁度30年前で、前年の昭和61年九州場所からの1年間を見ると関脇など、三役を経験した3場所が全てこの期間に該当し、生涯獲得した三賞も5回のうち4回がこの期間に取っています。ちなみに残り1回は平成元年春場所に東前頭14枚目で10勝を上げて敢闘賞を取ったものでした。そして、昭和62年初場所では立浪部屋所属の第60代横綱双羽黒関から初金星を挙げると、その次の春場所では、新小結の地位で昭和の大横綱の1人である第58代横綱千代の富士関を始め2人の横綱と北の湖部屋所属の北天佑関、現芝田山部屋師匠で放駒部屋所属の大乃国関、高砂部屋所属の朝潮関、現二所ノ関部屋師匠で二子山部屋所属の若嶋津関の4人の大関を倒す活躍を見せ、まさにこの年の「荒れる春場所」の立役者となったと考えられます。これを益荒雄旋風と呼び、この頃に千代の富士関のニックネームであるウルフから「白いウルフ」と呼ばれるようになり、一気に有名になりました。

ただ、その後は本場所中に右肘の靭帯を複数回痛めるなど、怪我で場所を皆勤で務めることが難しくなってしまいました。怪我をした3年後の平成2年名古屋場所で現役を引退し、錣山親方として押尾川部屋で独立するまでの2年間、後進の指導に当たりました。ただ、その間3回も十両優勝する等、実力は十分にありました。

軽量と度重なる怪我に苦戦して達成した関取、阿夢露関

現在、阿武松部屋に関取として所属している力士は2人います。阿夢露関は昭和58年8月生まれの33歳で、2年前には三役に近い番付まで上がっていました。少年時代はボクシングのみスポーツ経験がありましたが、義兄の勧めと縁から高校卒業後に当たる平成14年夏場所に阿武松部屋に入門して初土俵を踏みました。入門してから5年ほどは体重が90kg台しかなく、体重増加が課題となっていた上、取組途中に左膝の前十字靭帯を損傷する大けがを負ってしまった為、関取に昇進するまで9年半を要し、新入幕を果たしたのは入門してから13年近く経った頃でした。これらは外国出身の力士の中では最も遅いか、それに近い水準でした。ちなみにこの四股名は出身地であるロシアのアムール川に因んでつけられたものです。

出典:http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=2485

阿夢露関は右四つに組んでからじっくりと攻めていくのが強みで、その体勢から寄って出たり、前廻しをつかんで出し投げを打ったりする相撲で次第に関取に定着するようになりました。ところが、去年の名古屋場所で過去に痛めて大怪我を負った箇所を、また痛めて途中休場してから失速してしまい、今年の初場所では東十両10枚目の番付で10敗をしたため、関取残留が苦しくなっていますが、怪我が直れば、また復帰できる可能性があります。

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スピード相撲で入幕が期待される阿武咲関

阿武咲関は平成8年7月生まれの20歳と若手の十両力士です。相撲どころで知られる青森県出身で、少年時代から相撲一筋で、きっかけが祖父の勧めでしたが、自身も相撲に対して憧れていたそうです。そして憧れだけでなく、実力も十分に備わっており、小学校高学年から全国相撲選手権大会で優勝を複数回達成していました。そして高校1年生の時に、昔の稽古交流の縁から阿武松部屋に入門しました。

出典:http://www.sumo.or.jp/ResultRikishiData/profile?id=3434

阿武咲関は廻しを取らず、立ち合いから一気に突進していく相撲や押し相撲が強い点が特徴で、入門から丸2年で関取に昇進しました。つまり18歳で昇進したことになり戦後10番目に若い関取の誕生となりました。今年の初場所では西十両5枚目の番付で9勝を上げているため、幕内の土俵で活躍する日が近い関取と言えると思います。