時天空の力士として生きた軌跡

2017年11月18日

今年1月31日に、元小結時天空関の間垣親方が亡くなりました。まだ37歳で若かったです。私自身も気にしていた力士なので、今回は、この間垣親方に焦点を絞って記述します。


出典:http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=2818&l=j

角界に入るまでの履歴について

時天空関は昭和54年9月にモンゴルの首都ウランバートル市で誕生しましたが、土俵入りの際はモンゴル・トゥブ県出身と紹介されていますが、これは父親の出身地を登録したことによるものと考えられます。17年前に20歳で来日し、東京農業大学に編入という形で入学しました。その相撲部にも入部し、100kg未満の階級で全国学生個人体重別選手権大会を優勝する実力を持っていました。在学中の15年前に時津風部屋に入門しましたが、年齢制限まで、あと数か月のタイミングでした。相撲界の入門条件に身長・体重の体格面のほか、23歳未満の男子と定められています。初土俵から丁度2年で新入幕を果たし、テレビでも見ることができる力士として活躍しました。なお、この年に東京農業大学を卒業しています。ちなみに当初、来日した目的は相撲界に入門することでなく、学士を取得して母国のモンゴルで教師になることでした。

土俵上の足技と時間の長い相撲が印象的だった

私が相撲ファンになったのは今から13年前の春場所で、時天空関は丁度この場所が新十両で、そこからすぐに幕内に昇進したことになります。このため、時天空関を相撲中継で見ない日がなかったのも納得がいきます。

時天空関が休場して土俵から姿を消したのは1年半前なので、実質11年半、関取として活躍したことになります。体格は身長が186cm、体重が重いときでも150kg程度だったので、少し軽量な方に属する力士でしたが、現在幕内で土俵を取っている石浦関や、まもなく幕内に昇進して活躍すると思われる宇良関のように超軽量というほどではないので一見すると普通の力士とは変わりませんでした。それでも強く印象に残っている理由としては、時天空関の足技が、いつ出てくるのかという期待感と、制限時間いっぱいで土俵に入る際に睨み付ける表情が格好良かったからではないかと思います。時天空関は人気力士の第72代横綱稀勢の里関や元大関の琴奨菊関などが番付を駆け上がってくる頃に十八番の蹴手繰りなどの足技で倒してきたので、相撲界では第68代横綱朝青龍関のようなニヒル的な立場として扱われていました。もう1つ魅力的だったのが、相手と四つに組んでからの時間が長かったことです。勿論、足技で倒していくのも楽しみの1つでしたが、この組んでから、ずっと止まっている時間も、その間何を考えているのかなど色々と想像を含ませて見ていました。現に時間が長すぎて一旦、勝負を中断する水入りも3回あり、この珍しさも印象に残った理由の1つではないかと思います。このように早く決まるのと長時間相撲を取るという二面的な要素にも興味を示していたと思います。

ここまで大事になるとは思いもしなかった

時天空関が休場続きになっていた間、悪性リンパ腫というガンの1種で闘病中であることを知ったのは、現役を引退すると発表した、今から半年前でした。つまり、休場している間は「いなくなって大分、時間が経つけど大丈夫かな」と思うぐらいでした。その直後の9月場所でテレビに映った姿を見る限り、抗がん剤の影響で髪の毛が無くなっていましたが、元気そうに解説席に座っていたり、花道の通路で親方の仕事として最初に与えられる場内警備の仕事をしていたりしたので、このまま親方として後進を指導していくのだろうと安心しました。むしろ引退相撲のことの方に興味が向いていました。現に、今から10年前に現玉ノ井部屋師匠で元大関栃東関が脳梗塞という重病で直接、引退を表明しており、現在も治療を続けながら師匠の職を務めている例もあるので、大事になるとは思ってもいませんでした。

それだけに、今回の訃報を聞いたとき正直びっくりしたという気持ちよりも、まだ、現役で相撲を取っているような感じがして、身近に悲しいという気持ちの方が強かったです。もうあのような二面性が強い力士が見られないとなると残念で仕方ありません。