魁皇関と浅香山部屋について

2017年11月1日

魁皇関は花の六三組の最古参として活躍

元大関の魁皇関は昭和47年7月生まれの44歳で、中卒で友綱部屋に入門しました。なので、初土俵を踏んだのは昭和63年春場所でした。なお、この場所で初土俵を踏んだ力士には第64代横綱曙関や第65代横綱貴乃花関、さらには第66代横綱若乃花関と3人の横綱に加えて元小結の和歌乃山関などがいます。最終的に95人のうち11人も関取が誕生し、同時期に幕内などで大活躍していました。このグループの事を花の六三組と呼ばれています。

関取になったのは入門して4年後、新入幕は5年後と中卒入門ではかなり早い方でしたが、入幕した当時、同期の3横綱は既に幕内上位で活躍しており、曙関に至っては既に横綱に昇進していました。


出典:http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=7

花の六三組が活躍していたのは平成1桁の頃でしたが、魁皇関が実力を存分に発揮できたのは、この後2000年代に入ってからで、平成12年夏場所で初優勝を果たしてから同年の名古屋場所後に大関に昇進しました。魁皇関で象徴的だったのが、右の腕力が強いのを利用した、左四つ右上手からの小手投げや上手投げでした。これが決まったときの豪快さは相撲ファン歴13年の私でも見ていて魅かれるものがありました。ただ、小手投げは腕を抱えられて投げられる技であるため、投げられた後に腕を痛めてしまう力士がいたほどで「破壊王」と呼ばれることもありました。もう1つ象徴的だったのが、九州場所の応援の凄さです。取り組みの際に必ず魁皇という声援や四股名を書いた紙を掲げている様子をテレビなどで見ると九州場所らしさを実感できるほどでした。

現役時代、大関にもかかわらず幕内最高優勝を5回も達成したり、通算1047勝の歴代最多勝を挙げたりするなど、記録面で凄い成績を残しています。また、優勝した後の場所は綱とり場所となるため、久しぶりの日本人横綱誕生なるかという期待感を持ちながら、その都度、応援したり、1000勝や歴代最多勝を記録した瞬間の喜びを共感したりしたのを今でも覚えているので記録だけでなく、記憶にも残る力士だと思います。それだけに引退を表明した6年前の名古屋場所では寂しい気持ちになったことは、今でも覚えています。

魁皇関が興した浅香山部屋について

この、元大関魁皇関が興した部屋が浅香山部屋です。誕生したのは今から丁度3年前と新しい相撲部屋で、現役時代に所属していた友綱部屋から独立してできました。なので、伊勢ケ濱一門に属しています。場所は墨田区の緑4丁目内にあり、JR両国駅の1つ隣のJR錦糸町駅から徒歩7分程度の位置にあります。ちなみに春場所の宿舎は大阪でなく奈良県生駒市の山中にある、くろんと荘、名古屋場所では大高町という東海市に近い位置にあり、九州場所では住吉神社に宿舎を構えています。

この部屋の女将さんは元女子プロレスラーの西脇充子さんで、魁皇関よりも5歳年上なので所謂、姉さん女房となります。結婚したのは今から18年前で、当時魁皇関は現役で活躍していた頃だったため、女子プロレスラー界では魁皇のファンになる人も少なからず存在していました。ちなみに当時の魁皇の番付は関脇で、この1年後の秋場所で大関に昇進しました。

現在所属している弟子は幕下の魁渡など5人で全員が1990年代後半生まれの若く、将来が期待される力士達です。これにベテランの若者頭・呼出・床山の1人ずつの計10人が共同生活しています。浅香山部屋では稽古の一般公開を実施しており、稽古見学とそのあと食べることができる、ちゃんこ鍋がセットになった日帰りツアーが組まれているところもあります。ちなみに、このちゃんこ鍋はいろんな種類があります。例えば豚味噌ちゃんこは甘くて濃厚な味を楽しむことができ、ご飯が進むそうです。さらに、鶏すきちゃんこなど一般的なすき焼き風の味付けの、ちゃんこ鍋もあります。ここにおかずとしてステーキが登場するため、しっかり食べて大きくならなければならない若い力士にとってはご飯の友として食べやすくなっているのではないかと思います。