式秀部屋の独特さについて

2017年11月1日

少しずつ番付を上げていった北桜関

式秀部屋の現在の師匠は元北桜関で、昭和46年12月生まれの45歳で、広島市内出身です。第55代横綱北の湖関の興した北の湖部屋入門したのが昭和62年春場所でしたので、中卒で角界に入ったことになります。初めは本名の向で相撲を取っていましたが、その年の九州場所に北桜に改名しました。ちなみにこの9年後に1年間、また本名に四股名を戻した時期もあり、その当時は幕下で相撲を取っていました。


出典:http://sumodb.sumogames.de/Rikishi.aspx?r=70&l=j

北桜関はどちらかというと遅咲きのタイプの力士で、入門してから4年後に幕下に昇進したものの、関取に昇進したのは平成10年の名古屋場所で入門から11年半近くを要したことになります。そのきっかけになったのが前年の九州場所で、幕下60枚目で幕下全勝優勝を果たしたことでした。そこから勢いがついて関取の座を掴むことができました。力ずくの相撲から右四つの形を手に入れたことが要因の1つと考えられます。この形になってからの寄りが強みとなっていました。ここに自分から前へ圧力をかける技術を身につけたことにより、関取に定着するようになり、最終的には西前頭9枚目まで番付を上げることができました。ちなみに弟は同じく中卒で元関脇青ノ里関が師匠を務めていた当時の立田川部屋に入門した豊桜関で、平成16年の秋場所には兄弟同時幕内昇進という珍しい記録を残したことで有名になりました。ちなみに、その当時、豊桜関は元大関の霧島関が師匠を務めている陸奥部屋所属になっていました。立田川部屋師匠の定年退職に伴って陸奥部屋に転籍したからです。

ファンサービスとソルトシェーカーとして人気を博した北桜関

北桜関が関取として活躍していたのは主に平成13年からの8年間で、その間に十両優勝を1回経験しています。北桜関で有名な点としては観客に対してのハイタッチに応じたり、サインを必ず書いたりするなど、ファンサービスを積極的に熟していた点が挙げられます。そして土俵の中では制限時間いっぱいの後に大量の塩を撒いていたことが印象的でした。これはソルトシェーカーと呼ばれていた現錦戸部屋師匠の元関脇水戸泉関との対戦で負けた後にその素振りをまねしたのが始まりとされています。ちなみにこの大量の塩まきをしている力士は現在、友綱部屋に所属している十両の旭日松関がいます。幕下に落ちてからも1年間相撲を取っていましたが、今から丁度7年前の春場所で23年にも及ぶ現役生活を終えました。その後は、小野川親方として所属していた北の湖部屋で後進の指導をしていましたが、今から4年前に式秀部屋を継承する形で北の湖部屋から離れました。

弟子につける四股名はユニークである

式秀部屋で有名なのは、力士につける四股名があまりにユニークである点ではないかと思います。

現在、式秀部屋には19人の弟子がいますが、その中で幾つかを紹介したいと思います。

まず、現在部屋で最上位の番付にいる三段目の力士として爆羅騎(ばらき)がいます。これは本名の伊藤爆羅騎から取ったもので、今から4年前に入門しましたが、その際の新弟子検査で身長が160cmしかなかったため、髪の毛を縦方向に鬢付け油で固めたり、背筋を伸ばすトレーニングを事前に熟したりするなどしてギリギリ検査をパスできたことで有名な力士です。ちなみに現在の身長は164cmです。

この他のユニークな四股名の例として、本人が大好きなアイドルと当時活躍していたスポーツ選手に由来して、つけられた序ノ口力士の桃智桜五郎丸(ももちざくらごろうまる)や、アニメのウルトラマンタロウから、つけられた序ノ口力士の宇瑠虎太郎(うるとらたろう)、同じアニメでもワンピースからつけられた序二段力士の覇王(はおう)、本名のテオドロ・フランシス・ロバート・ヴァリエスから取ったフィリピン出身で序二段力士の冨蘭志壽(ふらんしす)などもあります。先述の爆羅騎のような傾向でつけられた例として他に序二段力士の黎大(れおん)がいます。さらに本名の櫛引(くじびき)にちなんだ点と、師匠の願いからつけられた例として序ノ口力士の大当利大吉(おおあたりだいきち)がいます。また、過去には願いがそのまま込められてつけられたのだろうと推測できる育盛(そだちざかり)という力士も所属していました。

これらのように一見すると何と読めばよいか分からない四股名や、師匠などの期待を込めて付けたオリジナリティーが豊富な四股名が多いのが式秀部屋の特徴といえると思います。ちなみに、これらの四股名が付いた力士は現在合計7人います。

式秀部屋の独自性は四股名以外にもある

式秀部屋は四股名が独特である点以外にも、他の相撲部屋とは異なっている点が多いのが特徴です。まず相撲部屋があるのは茨城県の龍ヶ崎市で両国からかなり離れています。そして弟子に対してスパルタ方式で指導するのでなく、「無理をしないで」と稽古中に語りかけるなど、いわゆる、ゆとり教育で育った世代がやる気を起こすような指導方針に即した稽古をしています。

式秀部屋の式秀は略称で、正式名称は式守秀五郎となっており、年寄名跡でも普通は九重だけのように上の名前だけが継承されて下の名前は本名などを繋げることが多いですが、上下セットになっています。この例は木瀬部屋の木瀬の名前が、木村瀬平が正式名称であるのと同じ理由で、行司の名前が由来になっています。

先述したとおり力士19人が所属していますが、他にも行司と床山が1人ずつおり、少なくとも23人が共同で生活をしています。

式秀部屋の女将さんは師匠よりも3歳年上の姉さん女房で高校時代には陸上部で国体などに出場する実力の持ち主でした。また、ツイッターで情報を発信したり、先述の宇瑠虎太郎の四股名を付けたりするなど独特性が強い部屋を支えています。

これらのような式秀部屋のオリジナリティーな所は、師匠が現役時代に人気を博した行動方針が、そのまま生かされたものだと考えても良いのではないかと思います。