相撲の国際化について

2017年11月1日

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国際化が進んだ大相撲

相撲は、古くは奈良時代から伝統的に行われている日本の神事であり、スポーツの1つとして知られており、日本の国技としても有名ではあるものの、平成に入って30年弱で急激に変化を遂げて、今や日本人の活躍が珍しがられたり、生で大相撲を観戦する客にも外国人がいることが当たり前になったりするなど、国際化が進んでいます。

実際は、ここまで国際的になっている

大相撲自体、今では老若男女関わらずファンが増えたため、本場所の観戦チケットの前売り券は完売になることが多く、当日券は一番後ろの自由席のみで、これを競って朝早くからチケット売り場に列をなす光景が、よく見かけますが、日によっては外国人のグループが複数並んで、日本人より並んでいる人数が多いときもあります。このため、祝日などを中心にNHKのテレビ中継で、一番後ろに外国人が座って観戦している様子が映ることもあります。勿論、升席や椅子席など前売り券を用いて観戦する人も多く、椅子席の中位ぐらいで観戦した際に前後列や横の座席が外国人のグループだったケースも、ここ数年では普通になり、英語だけでなく、中国・韓国語など沢山の言語が聞かれるようになりました。また、当日館内で売られているパンフレットや相撲雑誌でも英語表記されているものが多くなっています。さらにNHKの大相撲中継は海外にも放送されている歴史が長く、最近では休日に国際化をテーマに取り上げた企画をベースに放送されていました。

外国出身力士の活躍が国際化を進める要因の1つである

ここまで、国際化が進んできた要因として、海外出身の力士が大活躍していることが大きいのではないかと思います。大相撲で海外出身の力士が誕生したのは今から約125年前にフランスとアメリカ出身の力士が相撲興行に参加した記録が最初とされています。初めてプロ扱いになる関取まで昇進したのは、アメリカ・ハワイ州出身の先代東関部屋師匠の元関脇高見山関で、今からちょうど50年前の春場所でした。その後30年前に小錦関が大関まで上り詰めると、遂に平成5年春場所で第64代横綱曙関が誕生しました。彼ら3人に共通するのはハワイ出身で、体が非常に大きく、体重が200kgを超えており、曙関に至っては身長も2mを超えていました。この大型力士の登場で他の力士も、それに対抗しようと体重を増やす者も現れたほどです。体重を増やすことで簡単に落ちないなどのメリットもありますが、自分の体重を自身で支えられなくなるなどし、最終的に膝などに致命傷を負って力士としての寿命を縮めてしまったり、休場したりすることも増えてしまいました。このため、ハワイ勢の活躍は20年ほど前から後退し、変わって活躍し始めたのはモンゴル勢です。歴史は意外と浅く、今から25年前に元大関旭國関の先代大島親方がモンゴルに渡って6人の若者をスカウトしたのが始まりとされています。その中の1人が今の大島親方で関脇まで昇進できた旭天鵬関で、5年前の夏場所に平幕で、しかも37歳で初優勝を遂げるという記録を残したことは記憶に新しいと思います。また、元幕内の旭鷲山関は22年前に関取に昇進しました。これがモンゴル人として初の関取です。そのような力士の活躍もあって次第に台頭し始め、遂に約15年前に第68代横綱朝青龍関が誕生し、現在では白鵬関、日馬富士関、鶴竜関の3人の横綱が活躍しており、大関には25歳と若い照ノ富士関がいるなど、10人以上の関取をモンゴル勢で占めています。さらに、平成20年代に入ると、ブルガリア出身で鳴戸親方の琴欧洲関やエストニア出身の元大関把瑠都関などの欧州勢が幕内優勝するなど、出身国籍が増加し、今では、エジプトやブラジルなど国籍関係なく力士を志望して日本にやってくる若者も増えてきています。

これからもグローバル的になっていく大相撲

平成28年には一か月で約200万人の外国人が日本を訪問するようになり、大相撲が日本らしさを象徴する観光スポットの1つであることや、3年後には東京オリンピック・パラリンピックが開かれることを考えると、このような傾向は、ますます進んでいくのではないかと思います。