相撲に関する歴史について

2017年11月1日

相撲 その歴史と技法 | 新田 一郎 |本 | 通販 | Amazon

数年ほど前に相撲は日本の国技か否かで話題になりました。そもそも国技という定義や法律自体、存在していないので、あまり意味がなかったと思いますが、相撲が太古の昔から存在していており、日本独自の文化として発展して現在に至ることは事実です。

まず、相撲が一体いつからあったかと言いますと、奈良時代に書かれた有名な古事記や日本書紀には既に相撲に関する記述が残っており、その中で、今から2050年ほど前に野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹴速(たいまのけはや)が相撲で戦ったとされており、これが最も古い記録となっています。今から2050年前は日本史では弥生時代にあたります。ただ、この内容は今の相撲とは形がかなり異なり、むしろ格闘技に近い感じだったとされています。ちなみに、この2人は相撲の神とされており、東京にある野見宿禰神社は日本相撲協会が管理していて、境内には歴代の横綱の名が記した石碑があることで有名です。

その後、奈良時代から平安時代にかけては相撲節会という宮中行事の一環として、相撲が行われるようになりました。その目的は全国相撲大会的な要素の他にも、今の8月頃に行われていたことから、五穀豊穣を祈るなどの神事的儀式な要素も含まれていました。これは、全国各地から力士をスカウトして都に呼び寄せて天覧相撲を見せるような感じで行われていました。その当時になると一般社会でも相撲が行われていました。先述の神事的な意味で行われているものから、武士たちが日ごろの鍛錬という目的で行われているものまで様々でした。こういったことは今昔物語集など、当時書かれた書物にも残されています。

その頃の相撲はあくまでも、見世物やショーとしての扱いで取られていることが殆どで、これは戦国時代まで変わりませんでした。ただし、鎌倉時代になると武家社会になるため、主に見せる対象が天皇から大名や将軍へと変わり、相撲も鍛練的な目的で行われることが多くなりました。ちなみに現在でも続いている弓取り式は安土桃山時代の約450年前に始まったとされています。

江戸時代になると、力士が今のように職業の1つとして位置づけられるようになりました。最初に行われたのは東京で今から400年前に明石志賀之助という力士が6日間だけ行ったとされております。目的は寺や神社を修復するためのお金集めでしたが、後に独立して収益を上げることに変わりました。これは勧進相撲と呼ばれており、東京の他に京都と大阪の計3か所で行われました。ただし、東京では深川、蔵前、神田などの神社など開催する場所が多く、最終的にはそこに一本化されます。ちなみに、この明石志賀之助は現在71人いる横綱の、最初の1人とされていますが、正式な記録が残っていないため、実際は第4代横綱の谷風梶之助と第5代横綱の小野川喜三郎が最初という説が有力となっています。その当時、町中で辻相撲という素人が行う相撲があちこちで行われ、場合によっては喧嘩が激しくなるなどして、市民生活が脅かされたことから約30年間、幕府から一切の相撲に関する禁止令が出されたことから、この勧進相撲も中止になることもありました。

勧進相撲が再開されるころになると、今のような丸型の土俵が作られるようになり、大きさや境目を付けるための俵の数などに細かいルールが設けられました。さらに、力士の強さが一目でわかる番付や力士が生活を共にする相撲部屋の仕組みが確立されたのも、このころからで、今と場所は異なりますが、両国に国技館ができて、本格的に、そこで相撲が開催されるようになったのは今から185年ほど前のことでした。ただし、このころはまだ屋根がなかったので、雨天の場合は開催中止となっていました。また、この間第4代から第12代まで計9人の横綱が誕生しています。初代から第3代横綱までは正式な記録が残っていません。

しかし、時代が明治に変わると、文明開化の影響を大きく受けてしまいます。それは、明治政府から散髪脱刀令が出されたことで、力士の伝統である丁髷が無くなってしまう可能性があったことです。政府の中では相撲廃止論を唱える政治家も少なからずいたほどで、相撲史最大の危機といっても過言ではないと思います。だが、明治天皇が大の相撲好きだったことに救われたり、協会側の改革の努力があったりしたため、この危機を回避することができました。そして、今から130年ほど前に番付に横綱として正式に明記されたり、会場に屋根が取り付けられて常時相撲開催ができるようになったりし、今の形にかなり近づきました。ちなみに、その当時活躍していた力士は常陸山関と2代目梅ヶ谷関で、共に横綱まで昇進して梅・常陸時代とも呼ばれているほどでした。この常陸山関は渡米して当時のルーズベルト米大統領の前で横綱土俵入りを紹介するなどし、相撲を海外へ初めて広めました。

そして時代が進むにつれて相撲人気も増していき、スポーツ自慢の人や、貧しい家計を支えたい人などが力士を志望して上京し、入門するケースが多くなり、大相撲は関取まで上がれば生計を立てられる職業として広く周知されるようになりました。戦前に活躍したのは横綱双葉山関で連勝記録69は未だに破られていない記録で、最近横綱白鵬関が挑むも63連勝とあと一歩届きませんでした。戦後になると横綱栃錦関と横綱初代若乃花関による栃若時代、横綱大鵬関と横綱柏戸関による柏鵬時代と進み、横綱北の湖関が活躍するころになると1強横綱が土俵を引っ張っていく展開も見られるようになりました。これは、次の横綱千代の富士関が活躍したころは特に顕著でした。ちょうど、その頃あたりから大関小錦関や横綱曙関のようなハワイ出身力士が優勝するなどして活躍するようになり、年号が平成に変わるとモンゴル・中国・韓国などのアジア勢をはじめ、ブルガリアやエストニアといった欧州出身の力士も誕生して、今では日本人力士よりも、こちらの方が好成績を収めるようになりました。

現在では、ブラジル出身の魁聖関やエジプト出身の大砂嵐関が現れるようになり、ますます多国籍化してきており、相撲の深い歴史を一度振り返ってみるのも面白いと思います。